2013年9月18日水曜日

肖像画から読み取るジュエリー

私が油絵を描いていた学生の頃は 抽象的なモチーフやインスタレーションが流行っていて ルネサンス期の絵画を大きな声で好きだと言える雰囲気はあまりなかった様に思う。古典絵画が好きな人たちは 何やら集まっては絵具や技法の情報交換をしたり、バイオリンやビアノやリコーダで古楽を演奏したりと かなりマニアな世界でとても楽しそうだった記憶はあるのだが、残念ながら私には興味がなかった。
具象的に描くことを入試で求められて受験時代に散々描き続けるわけで、その呪縛から解放されたらひとまず 自分探しの旅に出てあれやこれやとスタイルを変えていくのが美大生の普通の姿だったと思う。
 
 
そんな私だったが、ジュエリーに関しては学生時代から一貫してアンティークジュエリーが好きだった。
アルバイトの金額の割合からしたら かなり思い切った買い物をした。
大きなイギリス製のメダイヨン、骨董品屋で一目ぼれしたターコイズとアンティークゴールドのピン、パリで買った濃紺とブルーグレーに染めた水牛の角を象嵌にしたリング。京都の骨董市で見つけた銅貨に穴を空けたペンダント。ビクトリア女王の横顔のコインはかなり摩耗して文字が薄くなっていたがトレッシングペーパーを当てて鉛筆でこすり出して図書館で調べたらイギリス統治下のインドのコインで3年間しか使われていなったものだったり。値段も買った場所も違うそれらは、今でも大切にジュエリーボックスに在る。余り出番は無くなったとはいえ、そのジュエリーを見ると様々な出来事を思い出す。
当時から私はジュエリーが好きだったんだなぁ、と今更ながら思い、今こうして自分で作ることが出来る幸せを感じている。
 
さて、学生時代には興味なかったルネサンス期の絵画、今は夢中になって楽しんでいる。あの時代のファッションの自由さ(機能的には不自由だったのかもしれないが)発想の楽しさ、特に男性はお洒落することが権力の象徴でもあったのだからそれはそれは凝っていて 今のファッションフリーク達もかの時代に行きたいのではないかと思う。
北方ルネサンス期の肖像画にもジュエリーが多く描かれている。その人の体温や声まで聴こえてきそうな メムリンクやファン デル ワイデンの絵の中には、今とは違うリングの着け方をしているのが面白く、装うということについて、色々と思い巡らす時間を与えてくれる絵が多くある。
縫製技術やファスナーなどがない時代、ないからこそ 様々な工夫がありそれをデザインするクリエーターたち。ジュエリーについても「心地よさだけではない何か」を考えるきっかけになったりするのだ。