2014年12月15日月曜日

小さな分身を探して

朝、手に取る服には様々な可能性があって、頭の中はフル稼働してその一着を選び出すのではないだろうか。
今日の気温、仕事の内容、遊びの内容、会う人とのバランス、自分をどう演出するか、鏡の中のお肌の調子、恋が始まる可能性、靴とのバランス、その日はどれだけ歩くか、ぜひ持ちたいバッグに似合うか、車を運転するかetc,etc・・

服を選ぶのは生活する上での重要なミッションである。
社会生活を送るうえで、自分らしく、自分の立場を表現する、何より身体を護るという役目が備わっているからだ。

しかし、ジュエリーはどうだろう。
フォーマルなパーティー以外、身に着けていなくても、何一つ問題はない。
むしろ、華美なジュエリーは人に威圧感を与えたり、場所や着け方によっては不快感を与えてしまう存在だったりする。

モードとしてのアクセサリーはバッグや靴を選ぶ感覚で良いと思うし、その日の服のバランスで楽しむのは正解だと思う。

しかし服の付属品ではない、独立したジュエリーには もう少し立ち入った役割がある。
それは身に着けなくても何ら問題がない小さな装飾品であるがゆえに際立つ力、
その人の「自分はこのような物が美しいと思う」という個人的な美意識を少しだけ表明する小さな扉としての役割である。

ジュエリーの定義はそれぞれだが、私は時間を味方に持ち、その人の内面に関わる装身具がジュエリーだと考えている。
一般的な定義とは少し違うかも知れないけれども、値段や素材だけでは計れない、かけがえのない個人的な「宝物」であればジュエリーと呼びたいのである。

幻想的でクールでかつ官能的な作品を生み出す版画家のY嬢の指にはいつも
極細の金色の環に、半円形の真珠貝が小さくセットされたリングがはめられている。
真珠貝は飴色がかったミルク色で、ポトリと蠟を落としたようなその指環は、
モノトーンの服を纏った彼女の繊細さや、密やかに耳を澄ます夜のような妖艶な版画の世界と見事に合わさり、指環含めてY嬢そのものなのである。
真珠貝は宝飾の素材ではないのだが、それはジュエリーとしか呼びようがない。
その指環がポツンと机に置かれていたら、今のY嬢の体温、声、存在感全ての分身に思えるに違いない。

私も20歳くらいから、分身のようなジュエリーを常に身に着けてきた。
パリの骨董屋で出会った紺色と水色の水牛の角を象嵌したシルバーリングを、
ボリュームある銀に縁がゴールドの楕円で枠を作ったピンク珊瑚の指環、初めて彫金で作ったイニシャル入りの指環、学生時代の私を知る人は 大きなアンティークのメダリヨンと呼ばれるチャームを革紐でペンダントにした姿を今も覚えているという。
この秋からは緩やかな形のイエローゴールドの指環を左手親指に着けている。ルネサンス期の肖像画にも見られる指環の着け方なのだが、モードっぽい匂いと大人なのに少しだけヤンチャな気分なのが今の私だ。

twitterでお付き合いさせて頂いている女性が昨日、「何かピンクの物をもってみたい」という呟きをされていた。「人生でピンクのものと縁がなくアクセサリーを身に着ける習慣がないけれども、ピンクが気になる」という主旨だった。
お会いしたことはないけれども、身近な自然の移ろいに敏感で、造形美のある構成の写真を撮られ、音楽に造詣が深くて、美しいものの本質を探ろうとする、そんな若い女性という印象を持っている。自身の美意識を大切にされていて、直観的な人かな、とも思っているので「ピンク」という言葉の中には色んな意味があるのだろうな・・と感じた。自然の中でカメラを構える姿が、たぶんカッコよく魅力的な彼女に似合うピンクのジュエリーは何だろう、と勝手に想像させて頂いた。
もし、ピアスホールがあるならば、ピンク色に輝く3mmの極小和玉真珠、もしくは8.5mmのたっぷりした和玉真珠のピアス。質は特上のものを。毎日、歯を磨いて髪形を整えるように、肌の一部としてピンクパールのピアスを着ける。仕事にも自然の中にもパールピアスは寄り添ってくれる存在。和玉の真珠の中にはハッキリとピンク色が出るものがあり、しかも肌に着けると馴染みよく、存在感があるのに自然に見えます。
指環なら、ピンクゴールド。ボリューム感のあるものを小指に着けてもカッコイイし、
繊細でシンプルな環をスッキリと身に着けるのも心地良いと思います。
今まで、アクセサリーを身に着ける習慣がない人には、先ず気持ちが通じ合う相棒のようなジュエリーが良いかな・・と思う。それは、きっとその人らしさとも通じつつ、魅力を引き出す存在。自分が身に着けることに居心地の良さを感じる「これって私らしい」と思えるものを根気よく探すことで、自分の願うものや新しく芽生えつつある方向性が見えてくるような気がします。彼女なら、きっとそんな相棒を見つけて分身にしていけると感じています。


さて、分身であるジュエリーは、本人の変化でその役目を終え、静かにジュエリーボックスに収まることになるのですが、それはそれで美しい儀式。
ジュエリーは受け継がれるもの・・・遺品として財産価値としてという意味だけでなく、人間の成長によって移り変わってゆく性質があると思う。

移り変わって行っても、時の洗礼を受け止められるジュエリーは長く付き合えるし、誰かに譲り渡すこともできる。夜も昼も共に過ごした分身は、箱を開けると優しく迎え入れてくれてその時の空気も一緒に運んでくれる。まるで、ある時期の自分が小さくなって時と共に眠っているように。
ジュエリーという分身を探す旅路は、今とほんの少し先の自分と出会う旅でもあるのです。
                              
                                                  
                                                      
 

           




2014年12月13日土曜日

古いものたちと私④~青いオウムの店

自分の城を持った時、その内装で自分の器が分かる場合がある。
私が19歳のとき親元を離れ下宿した部屋は和室の4.5畳。内装云々よりも
いかに生活感を消し、スッキリ住まうかにポイントが絞られた。
当時皆が持っていたジッパー式のビニールの衣装架けも、コタツもちゃぶ台も持ち込まなかった。押入れを改装し、直方体のユニット家具と白く塗装した板で低い位置で机や食器棚を組み、高校の美術室で廃棄処分されていた古い大きな額縁に鏡を入れ、壁には点描で描かれた全紙サイズの並木道の風景画を架けた。
しかし照明も和風、壁も和風・・・しかも大家さんが一階に住まう間借りだったため大がかりな改装はできない。今ある持ち札でやりくりしてベストを尽くす堅実な作戦に出た。

19歳の女子大生にしては妙にストイックな部屋で、その無機質な雰囲気が友人達の苦笑いのネタになった。
気に入らないものは目に入らないようにしたい・・・しかし徹底できない中途半端さが笑いのツボだった。従妹から借り受けた冷蔵庫がプチトマトのように真っ赤だったこと、私は無彩色のカーペットにしたかったのに、「これではあまりに寒々しい」と母親がグレイシュなピンク色を強く推してきたので抗えずに屈したことが目ざとい友人達には可笑しかったようだ。「頑張ってるのに、残念」という感じが、常識的な家庭に育った証のようでもあった。

しかし、私の美意識の脆弱さをあざ笑うかのような部屋に住む住人と出会うことで、
時を経て残り続けているものとの新しい関係を築くことを教えて貰うことになる。

その部屋は京都の北東の北白川と呼ばれる古くから学者や文化人が住まう地域の小高い丘の上にあった。銀閣寺にほど近く、「哲学の道」と呼ばれる小川が流れる散歩道もある、明治の文豪小説に出てきそうな気配を今なお残しているゆったりした町である。
北白川別当町というバス停から急こう配の坂道を10分ほど息を切らせながら登る道は、小枝を空いっぱいに広げた雑木に囲まれ小鳥の声や、登って行くほどに足元かから京都の町のざわめきが重低音となって聴こえ、白い砂が川床にさらさらと流れる小さな川や橋があるという別荘地のような雰囲気の町に件の家は建っていた。
二階建ての一軒家、大家さんは平地に引っ越し、そこを4人の学生に貸している下宿家であった。
その二階の京間10畳の部屋(関東でいうと12畳くらいに相当する)に 付き合っていたS君が暮らしていた。

昭和40年代に建てられたその家は土地の利を生かした設計で、ゆったりとした造りの趣のある家であった。二階の部屋は端から端まで木製建具の窓になっており、眼下には銀閣寺の山の麓から流れるように続く京都市街はもちろん、晴れた日には遠くに嵐山の山並みまで見渡せた。冬の夜は揺れるように煌めく町の灯りが見えたのだが、その景色を楽しむには不都合なことがあった。
電車の窓のようなピクチャーウインドゥであったにも関わらず、なぜだかその窓は細かい草木模様がレリーフになった磨りガラスだったのだ。
気候の良い時期は窓を開けたら良かったのだが、それでも半分は景色が隠れてしまう。この残念な状況を、生活や生き方というものに独創的なものを追求するS君は我慢してはいなかった。
あるとき、窓ガラスは全て外され、透明ガラスに代わっていた。いや、代わっているかに見えた。よくよく見ると透明なのはガラスではなく、厚手の机に敷くビニールであった。学生が大家さんの窓ガラスを取り換えるだけの資金はなく、しかし美しい景色を楽しみたいという切ない思いが、少したわんで見える模造ガラス窓にさせたのだ。
確かに部屋の風景は一変したが、寒さ暑さの厳しい東南アジアの屋台さながらの半戸外のような部屋になった。

壁は濃茶の木目調の化粧版だったが、それは引っ越し前に全面を白い壁紙にしていた。
改装はできないので押しピンで一枚ずつ天井まで丁寧に貼ったが、隙間なく継ぎ目を見せないように貼るのには苦心したようだ。
そんな部屋には、キャンドルや間接照明が取り入れられ、常に何かしらの模様替えがなされていた。

京都市内を流れる鴨川の東の通り、川端丸太町に目の覚めるようなブルーの日除け屋根があるこじんまりしたお店がある。
「ブルー・パロット」というその店の前には、ニス引きメンテナンスを受けている古い家具がズラリと並んで日光浴をしていた。書棚・椅子・立派な脚の丸机・ジャバラで蓋のできる深緑のレザーが貼ったイギリス製の両袖机・・・木の密度を感じるずっしりと重い家具が、洗浄され、必要に応じてトノコで丁寧にパテ埋めされ、柔らかなチョコレート色のニスを塗られて蘇っていく様は、古傷を癒しに湯治場に集まる鷺のようであった。
川端丸太町は華やかな河原町側と比べて、古い町屋が並び古本屋さんや豆腐屋さんなどがある生活臭のある地域で、そのまま東に向かうと京都市美術館や平安神宮のある岡崎地区に出る。鴨川に流れ出る明治時代からの琵琶湖疏水があり、夷川発電所の古めかしい煉瓦造りの建物など、散歩コースとして変化に富んだ景色が楽しめる。
その散歩コースに必ず立ち寄るようになったその「青いオウムの店」は歩道に溢れる家具の他、二階建ての狭い店内には、ジグソーパズルのように家具が積まれており和と洋が混在した世界が展開されていた。京都のいわば古い洋館にある屋根裏部屋と言ったらいいだろうか。欧州帰りの先代が持ち帰ったデスクとか、家具職人にデザインを指示してつくらせた象嵌と鏡がはめ込まれた玄関の大きなコート架けなど想像力掻き立てられる品々が、かなりの回転率で出入りしていたため、飽きることがなかったのだ。しかも歩道に出ている品は、学生にも購入可能な価格帯だった。薄い引き出しに真鍮のネームプレートがついた書類棚など5000円くらいからあったので、アンティークと呼ばれる品が一気に身近な物として存在した。

私は狭い部屋にこのようなニス引きの家具を入れる生活は放棄していたので、憧れを持って見ていただけだったが、S君は常にチェックしながら部屋に招き入れる古い物を吟味していた。
そんなある日、とうとう彼の眼鏡に叶った品が部屋に到着した。150cmくらいの部分的にガラスの扉がついた本棚である。その棚は隠す部分とオープンにしている部分のバランスが良く、嫌味のない木の厚みが心地よかった。早速ベッドの頭側に設置して、読みかけの本、コップ、夢日記と筆記具、オーディオ類、カセットなど細々としたものを美しく収納していった。
そして、棚板の一部に取り付けた照明器具が一層その本棚を魅力的にした。
それは、北野天満宮で月に一度開かれる天神さんという古物市で見つけた
アメリカ製のクランプ式デスクスタンドだった。真鍮で鈍く光るアームには人間の腕の関節のような仕組みがあり、ゆで卵の飾り切りのようなギザギザで噛みあっていた。アームの中は空洞でその中を線がスッキリと入り、小気味のよい音を立てるスイッチも今まで見たことのないカッコよさのボリューム感であったが、最大の難点は電気が点かないことであった。
今では、海外照明器具のパーツ専門店もそここにあるし、ネットでも入手できるのだが、1985年当時は東京か米軍基地のある町くらいにしかなかったので、その壊れたライトは驚くべき安さで入手できたのだ。
 そのライトが点くまで数か月かかった記憶があるが、あまり昔のことで詳細は覚えていない。確かコードや部品が入った小包を見た気がするので、苦心の末に部品を調達したのではないかと思う。
切り出した真鍮の質感が美しいライトが本棚に設置されて読書スタンドになった時、用と美がピタリと音を立てて合わさったような快感を味わった。

その「青いオウムの店」は現在2店舗になって今も京都で営業している。
時代の要望に応え、陶器や小物も増え、沢山の人に愛されて育てられて来たのだろう。
東寺の弘法さん、北野の天神さん、寺町や祇園・縄手通りの骨董街、京都にはいくらでも古い道具に行き当たる環境がある。
しかし、そのお店が違ったのは、古いものを今使えるるように微調整したセンスだと思う。
名前も店構えも若い人に受け入れ易いオープンな雰囲気にして、新しい骨董との付き合いかたを提案していた。
大きな店になって、間口が拡がった分、その店のスタイリッシュさは薄まってしまったが、その雰囲気を継承した個人店舗は数多くみられる。

S君は「将来、アンティークの店をやろうかな」と口にするほど入れ込んでいたけれども、今は全く違う道に進んでいるようだ。
若い男性店主の良い雰囲気の古道具屋を訪れると、ふと彼のことを思い出す。
独特の感性があった人だったから、もしそんな店を作っていたらどんなセレクトをしたのだろう、見たかったな、と思うのだ。
他にも、手に入れたテーブルなどの思い出もあるが、一つ一つがこれほどに鮮明なのは、素地の良さがある年月を経たものが、生きている今と調和した感動があったからだと思う。
身の周りを整えることに感動があると、モノを超えて、その時の空気感までもが記憶されて色あせない思い出になるようだ。
   
                         



2014年11月24日月曜日

古いものたちと私 ③ あまりにも凝り性な家

私は転勤族の家庭に育った。
古い調度品などはどこにも見当たらない。
社宅の持つ合理的な間取りの並ぶ集合住宅は、その都市でも最も治安が良く、学区も安定した場所に建っており、その光景は蛍光灯の全光状態のように影のないものだった。

次に住む家の広さも分からず、辞令が出て2週間で引っ越さなくてはならない環境では、美しいものが好きな両親も家具や調度品を増やす訳にはいかず、実にさっぱりとした合理的な住まい方をしていて、それはそれで清々しいほどだった。

古いものと私の出会いの最初は、お盆の時期に毎年帰省した京都・西陣にあった祖父の家だった。
戦前に建てられたその家を西陣織の帯の図案師だった祖父が買ったものであったが、今振り返っても施主は狂がつくほどの普請道楽だったに違いなく、その記憶は鮮明である。

その家は一見、二階建てだったのだが、壁に寄木細工のようになっている一部分を外すと、羽の付いた三角の板が現れ、それをセットすると三階に登る階段が現れる。
転がり落ちそうに切り立つ階段を上がると、四方ガラス窓の灯台のような3畳ほどの部屋に行き着く。薄暗く急な階段の先には、カラリと視界の開けたガラス張りの部屋が現れる不思議はお盆の五山の送り火を見る為だけに作られた部屋で、京都に灯される全ての送り火を見る事のできる特等席であった。
しかし、その階段の恐ろしいこと、ガラスの部屋には行きたいのだが、その階段を登るのは容易ではなく、いつも大きな従妹たちが難なく登って行くのを悔しく見送っていた。
台所は京都の町屋によくある細長い土間で、高い梁の見える天井には煙突の穴と共に採光の小さな窓も空いていた。
土間と茶の間には高い上り框があり、黒光りする板が何枚も嵌められていた。
その板には丁度、指が差し込める穴があり、板を持ち上げると床下収納になっていて、醤油や酒瓶、糠床、米・・その他台所に関する様々なものが収納されていた。
そこも、私にとっては未知の漆黒の世界・・・床下の隅は真っ暗で闇の目が射抜くように見ている気がして恐怖で震えあがった。
茶の間の壁面一杯に黒く光る茶箪笥も都会暮らしの私には謎の代物だった。
大きな引き出しはともかく、トランプくらいの引き出しも無数にあり、扉を開けると細く長い引き出しがまた現れるからくり、不思議な手順でしか開かない扉、開け閉めするたびに「フゥファー」とハーモニカの音がする引き出しなど、今思うと昔の指物師の気概が漲った素晴らしい茶箪笥なのだか、幼い私にはその家具自体が生き物のようで、夜に見るのが怖かった。
京都の町屋によくある坪庭と渡り廊下の離れ部屋、表の庭にも渡り廊下の先に客人用のご不浄があり、手水鉢があった。
家の中外が入り組む生活など、社宅のマンションでは想像外の世界だった。
しかし、そこまでは京都の町屋では時々見られる形態ではある。

この家には普通の町屋以上の酔狂な仕掛けがあり、いつも私を怯えさせた。
今から30年ほど前改築をしたのだが、町屋にも慣れている大工さんでさえ首をひねり「大徳寺の忍者屋敷」と呼ばれた所以のからくりが。

茶の間の奥の押入れを開けると暗闇に箱階段が見え、そこを登ると中二階のような納戸があった。そしてその押入れは客間の押入れと繋がっていて襖を二回あけると違う部屋にいきついた。その暗闇・・・そして、その押入れの壁に上部にハート型の染みのある壁があった。その壁は一見壁なのだが、押すと扉になっており、どこまでも続く(と思われる)廊下が吸いこまれるような闇をたたえていた。そこはさすがに祖母たちも入る気がしなくて、使っていない開かずの扉、踏まずの廊下であった。
改築の際、大工さんが踏込んだところ、その廊下はグルリと家と壁の間に存在し、なぜか二階の踊り場の隠し扉に続いていたという。
一体何のために?その答えは施主しか分からない。
アンネ・フランクの家か、伏見の池田屋か、のような不思議な作りの家は、子供心に「古いものは凝りすぎていて、そして闇がある」という概念を植え付けた。
面白く、豊かな思い出ではあったが、闇の黒さに押し潰されそうな気持ちにもなり
よくもこんな怖い家に住めるものだと感心もした。

一時は10人ほどが暮らした大きな家だったが、今は80歳を過ぎた伯母が一人で住んでいる。
先日、関東から京都の町屋に越された方のお宅に伺った。
パリの屋根裏部屋にも2年前に住んでらしたその人は、古き良き京都の家と欧州の稀少な本をさり気なく飾った居心地の良い部屋で、自らの美学に忠実に愉しく暮らしていらっしゃった。
吹き抜け天井には濃茶の梁が通り、光庭には白い山茶花が咲き始めていた。
そしてその人もこう仰ったのである。
「実は、屋根に近いところにもう一部屋あるみたいなんですよ。まだ入ったことはないのですが。」
京町屋、恐るべしである。

2014年11月21日金曜日

古いものたちと私② 愚者のカード

個展の打ち上げに、京都・四条の「カフェ・オパール」さんに連れて行って下さったのは、幻想的な美しき世界を構築する版画家のY嬢であった。
そこは、細い鉄の扉を押して路地を入る京都の町屋の構造をそのまま残したお店で、何風ともひとくくりでは言い表せないある気配が漂っていた。
天井には古い大きな梁が見え、吹き抜けに続くミントグリーンの壁が香港映画「花様年華」を思い起こさせる空間に私達は収まっていた。
このカフェでは中世から続くマルセイユ・タロット・リーディングをしているらしく、それが素晴らしい読みなのだとY嬢からお聞きして、個展が終了したこの機会に見て頂くことにした。

そのリーディングは的確で、そして愛情に溢れ、しかも毅然としたものだった。
私の本性は「数を持たない愚者」のカードだった。
襟に沢山の鈴をつけ、杖を持ち、犬にズボンを噛まれ、穴だらけの恰好の愚者。
しかし、悲惨な雰囲気は微塵もなく、鼻歌を歌っているかのような実に楽しげな表情だ。
「愚者の連れている犬は霊感を表します。この霊感を連れて怖がらず、どこまでも進んで行くのが愚者なんです。」

私の敬愛する洋画家の先生がいつも仰っていた言葉を瞬間思いだした。
「モノを作る人間はアホですわ。アホでなけりゃ、こんなどんどん溜まっていくのに絵を描き続けることはでけしません。」
その先生は祖父は日本画の大家で、フレッド・アステアに似たお洒落な先生であられたのだが、他のいくらでも成功する道があったにも関わらず画家という道を全うされた中で「アホやなぁ・・」と感じながら情熱的に画業に勤しまれたに違いない。先生は去年、この世から旅立たれたのだが、その美しく洒脱な絵と人柄を想う時、暖かな陽射しの中で眩しそうに遠くを見ていた、ひとところに収まらない風のような雰囲気を瞬間、身近に感じるのだ。

後先を考えたり、経済効率を優先すると創作活動は怖くてできたもんじゃない。
このカードに描かれる霊感と情熱と鼻歌をもって歩む愚者は、私にとって憧れでもあり、先生でもあった。
そして何よりも BOCCAのアイコンである野原に寝そべる若者にも酷似していた。

霊感を持つ愚者・・・これが私の古いものたちとの関わりにも大切なキーワードのように思う。










2014年11月20日木曜日

 古いものたちと私 ①

先日終了した京都での個展には ペンダントの素材であり、テーマである
1684年の結婚誓約書の実物を併せて展示した。

何気なくギャラリーに入った老若男女は、一様にページをめくり、紙質を確かめ、びっしりと小石を敷き詰めたアッピア街道のような文字に見入り、そして修正跡のなさを確かめ、何となく喉から押し出すような感じで「いい物を見ました」と去って行かれる
ことが多かった。
音楽を演奏する人は「楽譜のよう」、カリグラフィーをされている人はそのペン先はどんなものであったのか、色々と検証されていた。

古文書慣れをしているルネサンス美術の若き研究者さんは、
目を通しながら「この人、借金がありますね」とクスリと笑い、本をモチーフに絵を描く画家さんは、その本のザックリと止めてある麻紐や羊皮紙の破れをカメラに収め
本という物質感を愛おしそうに眺めておられた。

たった一冊の筆跡がびっしり詰まった本・・・それが与える時間を遡る感覚は
ギャラリーの空間に潜む小さなネジのような役目を担っていた。

私の古いものについての愛着は いつの頃からだったのだろう。
330年も昔の文書を手にし、ジュエリーに仕立てるまでの道のりは
昨日今日の古物好きというわけではないのである。
そして、当然、古ければ何でも良い訳ではない。

そこのところを思い出して記してみたい。

            
                 


2014年11月11日火曜日

「les amours 1684」ありがとうございました。

お陰様をもちまして BOCCA個展 「les amours 1684」が盛会のうち無事終了いたしました。
ご来廊くださった方々、そして手に取ってご購入下さった方々、またSNSを通じて
情報を発信してくださった皆様に深く感謝と御礼を申し上げます。

今回、ジュエリーのみならず、古文書ファンの方との交流する機会を得て、これが個展の醍醐味と実感いたしました。
私と縁があってはるばるやってきた フランスの結婚誓約書。
1684年から1685年の二年間の愛の束。
その流麗な文字やスタンプに、美しさと人間の息づかいを感じて頂ける同朋の多さに 心強いものを感じました。

高速で動く合理的な社会の住民である私達にも、一文字一文字の持つ力強さ、繊細な美意識はかけがえなく、そして心動かすものであるという真実。
その美しい文字から感じ取れる息遣いを 私の持つ技術でペンダントに仕立てる喜び・・それは、彫金家として至福が詰まった作業でした。

珊瑚がモチーフについた品は、珊瑚の持つフォルムが血管とイメージが重なるように
文字も珊瑚のフォルムと相談しながら決めました。血管=息遣い、人の体温を感じるジュエリーの完成まで、実は3年の試行錯誤がありました。
グレイムーンストーンのモチーフは思考するイメージ。
詩的な文字を選び、月夜の窓辺に置かれた本のイメージを形にしました。

金属のハートとスクエアのヘッドは 文字の魅力を際立たせるシンプルなデザイン。
文字そのものの美しさを楽しむ人に。

古文書以外のジュエリーに於いても、ご興味を持たれたり、ご購入下さった方は一様に そのジュエリーの意味を感じ取ってくださったのでは・・と思いました。
なぜなら自分の内面世界に近しいデザインを選んで下さっていたように感じられたからです。

「私は普段、ジュエリーは身に着けないんだけど」と仰る方が ご購入くださる時、BOCCAのジュエリーの特徴は「自分を飾るだけではなく、その人の内面世界を少しだけご紹介する窓」としての役割があるのだなぁ、と感じずにはいられませんでした。これは、本当に有難く、貴重な体験でした。

今回、京都市・中京区の三条通と御幸町交差点の角という ザ・京都というべき場所での展覧会に、沢山の生粋の京都人が来られましした。
皆さん 手仕事に対する気持ちが暖かく、沢山の励ましと優しさを頂戴いたしました。
重ねて 心より御礼申し上げます。




 





2014年11月7日金曜日

"les amours 1684"  個展開催しております。

11月3日より始まりました個展 ”les  amours 1684"
連日、沢山の方にご高覧いただいております。

作品と共に、空間や低くかけている音楽、シードルトンのキャンドルの香りも
楽しんで頂いている様で とても嬉しく思います。

330年前の結婚誓約書の実物に皆様 一様に驚かれますが
そこはさすが古都・京都、「そういえば 室町時代の書き付けが仏壇にありますわ」
など古の筆跡の魅力についてお話しを伺ったり。

今日から後半、日曜日までの開催です。
京都にお越しの際は ぜひ お立ち寄りくださいませ。

京都市中京区三条御幸町 東南角 1928ビル 1階
同時代ギャラリー/コラージュ にて。

2014年10月24日金曜日

DMを置いて下さった お店のご紹介

  BOCCAの個展に際し、DMを置いて下さったお店のご紹介をさせていただきます。

いずれも、素敵なお店ばかりなので、ぜひ個展に合わせて足を運んで頂けたら・・と
思います。(順不同・敬称略)


*   ali  (神戸市 中央区/ アンティーク・カフェ)
            多国籍の古いもの、新しいもの、美しくて味わいあるセレクト。現在、BOCCA
            の品を扱って頂いております。
       

*   アトリエ箱庭 (大阪市中央区/ ギャラリー・多目的スペース)
    BOCCAの彫金教室をさせて頂いています。同じ豊島ビルの3階には鞄・洋服
    ニットのアトリエショップも。
    
   
*   ANdo (大阪市中央区/ オリジナル家具・アンティーク)
     美しいオーダー家具、アンティークの雑貨、現代の陶芸作品など。

*   恵文社一乗寺店(京都市左京区/ 本・ギャラリー・雑貨)
      京都だけでなく世界的に有名になった本屋さん。

*   ラ・ヴァチュール (京都市左京区/ カフェ)
     京都市美術館・平安神宮に近い岡崎地区にある喫茶店。松永ユリさんが
     日本に紹介したタルト・タタンで有名なお店。タルト・タタンはもちろん、他の
     ケーキも絶品です。

  
      
*   カフェ・モンタージュ(京都市中京区/ クラッシックライブホール・カフェ)
     カフェ・モンタージュでの一時間ライブ。クラッシックを気軽に楽しめる
     空間。リハーサル・カフェでは生の音を楽しみながらお茶を。

*   NOUS (京都市中京区/アンティーク)
    フランスの骨董店そのままの雰囲気が京都に。小物からドアなどの建材まで
    揃います。

*   kit (京都市上京区/ 雑貨)
    京都御所の近く、独自のセレクトの生活雑貨。古いものから新しいもの、
    多国籍な品揃え。

*   雨林舎(京都市中京区/ 喫茶)
    京都らしい町屋の喫茶店。居心地の良い空間とホッコリできるメニュー。


*   京都精華大学 karaS (京都市中京区COCON KARASUMA/ ギャラリー)
* 京都造形芸術大学 図書館(京都市 左京区)
*   h2oギャラリー(京都市中京区/ギャラリー)
*   堺町画廊(京都市中京区/ギャラリー)
* 同時代ギャラリー(京都市中京区/ギャラリー)




2014年10月16日木曜日

さよならの前には

朝と夜の気温差が10度以上になることで薔薇が咲くと聞きました。
でも今春、200以上の花をつけ、ジャムも沢山作った 美しい透明感のある花びらと
強いオールドローズ香を持つ薔薇「ガートルード・ジュイキル」、その花は
もう秋には咲くことはありません。

毎年、50くらいしか咲かないこの花が なんでこんなに咲いたのか、
その時には気づきもせずに、せっせと花を摘んでは楽しんでいました。

花が終わって剪定をした3日後、突然、繁っていた葉がぐったりして
あっという間に枯れてしまいました。

窓を開けるとむせ返るような芳香にうっとりして
嬉々として花を愛でていた私は なんて馬鹿だったのだろう・・

さよならの前には、いつも最後のご挨拶があるというのに。

オリーブ、ミモザもそうでした。
沢山の実が成ったり、溢れるばかりの花を咲かせたり。

お別れの前の最期のあいさつ。
薔薇も人も小動物も、みんな一緒。
美しい記憶を残して去っていくのです。


2014年9月28日日曜日

いにしえの文字

11月の展覧会 「les amours 1684」 は今から330年前に書かれた文字を使っています。
1684~1685年に記されたフランスの結婚に関する文書。
厚さ15㎝にもなる羊皮紙で閉じられた 紙の束・・・その質量感と文字の迫力にフランスからの包みを解く手が震えました。

1684年は日本では江戸時代。松尾芭蕉が旅に出て、フランスではもうじきベルサイユ宮殿が完成する時期に当たります。
概念では知っているその時代ですが、その息吹が残ったものと対峙する不思議と
向き合うことになりました。

文字を特殊加工して水晶で封じる作品を最初に作ったのは 今から三年前。
その時は1800年代の紙束を手に入れ、その文字の面白さに魅せられて
試行錯誤して作りました。
その後、より発展させて作りたかったのですが、大粒のオーバル水晶が手に入りにくい現実や、文字もただ面白いというだけでは、ジュエリーとして成立しないという事など越えなければならない壁があり、しばらく期が熟するのを待ちました。

そして出会ったのが330年前の愛の文書。
インクの染みに、筆跡に、水晶を重ねた時、今度こそジュエリーとなり得る
美しさに溢れていていました。

時を同じくして、丁度よい大きさの水晶も手に入り、展覧会のメインになる作品が生まれました。
しかし、残念なことに、また20×15mmの水晶が入手困難になりそうで、リピートが難しくなる見込みです。
一つ一つが 出会いの積み重ね。
移ろいやすい美の女神を追って形にしていく作業は、森をさまよう狩人のように思えるときもあるのです。








2014年9月1日月曜日

個展開催にむけて

足指を骨折しているうちに夏は過ぎ、すっかり秋の空になりました。
お陰様でギプスはとれ、少しづつ歩けるようになってきました。
この夏、沢山の思い出を重ねた人、相変わらずの日常の人、それぞれの夏を過ごされた事でしょうね・・・

私はまさに制作の夏でした。
歩けないので、自主缶詰状態。
でも、それは今になって思えは天啓かもしれません。
なぜなら 11月3日からの個展がヒタヒタと近づいて来ていたからです。

ギャラリーでは様々な展覧会がありますが、作家はみなさんスケジュール表と
にらめっこで進行しているという事は共通しているでしょうね。

工芸分野は「気合」とか「根性」とかでは解決できない問題があり、粛々と歩みを進める雰囲気だと思います。
勿論、ベースには気合も根性もあることが前提ですが、何かが天から降りてきて
パッと解決できることが 少ない・・と言っていいでしょうか。
時間がかかるところは、かかる・・・素材が破損する、キャストが不全だった、工具や機械が壊れる・・などと考えたくない事が実際に起こるので、ロスタイムを見極めて進行することが重要になるのです。

一つの完成作品は、「絶対ミスできない山場」を超えてきた、集中力と忍耐力の塊と思って頂いて良いかも知れません。
彫金をはじめ、陶芸・ガラス・漆芸・木工芸・・・ある意味版画も自分の手を離れた所で起こる何かがあるので 似ている部分はあると思います。

絵画などの場合は、また違う苦労もあり、ギャラリーから送られてくるDMを見るたびに 「作品とその旅路をみる」気持ちになります。

先週、DMの打ち合わせをし、ギャラリーのwebでも告知が出ました。
あとは、走りきるだけです。
お越しいただいた方に少しでも楽しんで頂けるよう、良い旅にしたいと思います。

これから、少しずつ個展に向けて旅のもようをお伝えできればと思っています。

  
 Laboratorio di incisione BOCCA Exhibition

          "les amours 1684"
 

  
  会期: 2014年 11月3日~11月9日

  場所: 同時代ギャラリー  ギャラリーショップ・コラージュ
       (京都市中京区三条通御幸町角 1928ビル1F)

       www.dohjidai.com/

    
             

   
       
                   

  

   

 

2014年7月13日日曜日

彫金教室 7月19日休講のお知らせ

来る7月19日の彫金教室は 勝手ながら休講になりました。
ご迷惑をおかけして申し訳ありません。

実は自宅の階段から足を滑らせ、左足指を骨折してしまいました。
その段数、3段!!
室内履きの底がツルツルしていたのと、木製階段の縁がツルツルになっていたのと
朝、バタバタしていたのが相まって、滑ってしまいました。
素直に滑れば良かったのですが、階段の踊り場に愛猫の小屋と水飲み場があり、
トム猫がまさに水を飲んでいる最中・・!思わずぶつからない様にかわしたら、足がヘンテコなことに(-"-)

4歳の頃、竹馬から落ちて腕を骨折した時も、ガラスの飾り棚にぶつかるのを避けて
変な落ち方をして折ってしまい、今度もまた・・・

いろんな偶然が重なり、良い事も悪い事もやってきます。
腕や手でなく足、というのは私にとっては不幸中の幸い、これは落ち着いて制作に励めという天啓と受け止めて気持ちを立て直します。

しかし、現在、教室を楽しみに来ていただいている生徒さん、アトリエ箱庭さんには
本当にご迷惑をおかけして 申し訳なく思っております。
皆さん、自分の感覚を生かした素敵な作品を作られていて、私もいつも充実した時間をすごさせて頂いています。早く治して 再開できるよう、19日は休講にいたしました。
彫金教室のご参加をご検討されている方にも申し訳ありませんが、また、このブログのご案内をみて頂きたくお願い申し上げます。

私の夏のお楽しみは全て晩夏にまわりましたが、皆様におかれましては素敵な夏を充分に満喫してくださいね!

2014年6月29日日曜日

7月の教室時間のお知らせ

BOCCA彫金教室のお知らせです。

通常どうり7月5日 19日の第一、第三土曜日に開講しますが時間を以下のとうりに変更いたします。午後13時から18時までの5時間、アトリエ箱庭さんを使わせて頂くことになりました。長い時間を通して制作できるので、納得ゆくまで作品と向き合っていただく事も可能となりました。また、途中で休憩を入れて、素敵な豊島ビルの他のアトリエを覗いたり、北浜らしい個性的なSHOPやカフェを訪れたり・・と良い一日を過ごして下されば・・と思います。(早く作業が進めば退室してくださって結構です。)

彫金制作と北浜散策・・楽しい夏が始まります。
ご興味のある方は是非アトリエ箱庭までお問い合わせください。
皆さまと過ごせる時間を心よりお待ちしております。

2014年6月26日木曜日

美しい強靭な翼

ソプラノ歌手の森麻季さんのリサイタルに伺いました。
今回は最前列の席、もう、麻季さんの眉の上げ下げも堪能できる場所で歌の世界に浸ってきました。

森麻季さんは日本を代表する素晴らしい技術と表現力とルックスを兼ね備えた歌手。人間の声ってこんなにいろんな表情があるのかと知らされました。
シューベルトから始まりシューマン、モーツァルトと技巧が難しい曲へと進んでいきます。前半のクライマックスはモーツァルトの「魔笛」~ああ、私にはわかる。全ては消え~  私は麻季さんの歌でゾクゾクするのは 少し翳りのある歌。透明感がありキッパリと歌いきるだけではない 行間の余韻がある曲目。それは円熟味の増した芸術家しか伝えられない凄味。
後半のドニゼッティの歌曲、思わず落涙した日本語の歌、本当に素晴らしい時間を頂きました。
麻季さんは 美しい強靭な翼を持った鳥のような人。
また お聴きしたいです。

2014年5月30日金曜日

6月、7月のお知らせ

今年は庭に数本あるイングリッシュローズが 沢山の花を咲かせました。
特に ガートルード・ジュキルという薔薇は200くらい花をつけ心ゆくまで薔薇色の日々を楽しませてくれました。この薔薇は透明感のあるすっきりした 仄かに紫の入ったマゼンダピンク。特筆すべきはその芳香。強いオールドローズの香りが花びらにも残り、ポプリにもジャムにも最適なのです。そして花びらが薄く苦味が少ないのでシロップにすると悦楽という言葉しか見当たらない美味しさです。
 
6月7月の彫金教室は予定どうり、第一、第三土曜日開催です。
6月の教室には 薔薇シロップをかけたヨーグルトを休憩にお出しする予定です。
ちょっと仙人になった気分の食べ物ですが、完全無農薬、しかも薔薇は女性に嬉しいハーブなので集中した作業の一服にぴったりだと思います。彫金にご興味のある方は是非 ご一緒しましょう♪
 
 
 
 
 


2014年3月10日月曜日

BOCCA Jewelry making lesson について

 
 
 
先日お伝えしました彫金教室にお問い合わせ・お申込みを頂き有難うございます。
彫金には様々な技術が 天高くあり(本当に学べば学ぶほどそう感じます)、この講座ではなにが出来るのか ご紹介いたします。

まず、彫金には大きく二つの技法があります。金属から直接形を削ったり、パーツをバーナーで熱しロウという金属の接着剤みたいなもので繋ぎ合わせて作る古代からの技法がひとつ。もう一つが ワックスというロウを使い原型を作り、石膏型に入れ焼き上げて 溶けたロウのカタチの空間に溶かした金属を入れて鋳造するロストワックスという技法。
多くのジュエリーがロストワックス技法を用いていますが、それぞれに長所があるので、ジュエリー作家は自分の作品に合う方法を選んでいます。
BOCCAでは両方の技法を使って制作していますが、今回の講座ではロストワックス技法を使用します。
ロストワックスは何度もやり直しがきき、納得ゆくまで原型を作りこむことが可能です。愛着のあるジュエリーを作る上でとても大切なことだと思っています。

ワックスを削り原型を制作
K18のプレートを切り出しているところ
 
*体験Lesson(2回1コース)
 
ロストワックス技法にも沢山の種類があります。硬いブロックのハードワックス、柔らかいシート状のソフトワックス、粘土のようなクレイワックス、液体のインジェクションワックスなど。
体験講座では ハードワックスをアルコールランプで溶かしながら形を作るメルトワックスという技法で制作します。
この技法は金属の耳かきのようなヘラでワックスをすくい、ジワッと溶けたところをトレーシングペーパーに落としながら原型を作ります。溶かすタイミングで細かい模様や小粒の玉が作れます。一番の魅力は筆跡のような形が作れること。
ワックスを操る練習をした後、シンプルなリングを作ってみましょう。
細い重ね着けできるリングを2、3本 テクスチャーを変えたり自在にデザインしてください。実際に鋳造が可能な薄さ、大きさになるように指導いたします。
原型作りが1回目、それを鋳造して2回目には研磨に入ります。
鋳造から上がってきた状態は 湯道という金属を流し込むパイプのようなものが残っています。それらをヤスリで削り、サンドペーパー、シリコンリューターポイント、研磨剤で磨いてゆきます。
この作業ではネイルアートをしている人はネイルを傷めてしまうかもしれません。
その点をご了承ください。

リングは好きなサイズで作れます。第一関節に着けるファランジリングや親指のリングにトライしてみてもいいですね。

                         
繊細なリングで色んなデザインを
* Melt wax Lesson
 体験Lessonで受けた技法を使い ペンダントトップ、ボリュームのあるリング、ピアスなどを作る講座です。こちらではシルバーの他、ゴールド、真鍮などの鋳造も可能です。(金種により鋳造納期が変わるため2回目のlessonはひと月後になる場合もあります。)

ピアスパーツの原型

ペンダントパーツの原型と完成品

ボリュームのある透かし模様のモノグラムリング
*Freedom Lesson (1回づつ)
上記の2コースを受講頂き、waxや道具に慣れて頂いた方に受けて頂くコースです。
Freedomという名前のとうり、自分がイメージするジュエリーを作るために技法を選び納得ゆくまで原型を作る講座です。
ハードワックスを初めて触られる方は、シンプルな甲丸リングを最初に作って頂き、工具や立体的に作成する感覚を掴んでいただきます。工具はこちらでも若干ご用意できますが、数に限りがあるのと、時間がかかる作業になるので、ご自宅でも制作されたい方は基本的な工具のご購入をお勧めいたします。(10,000円程度)

その他、BOCCAの特徴としては以下の事が可能です。
 ・鞄、服飾雑貨、ビーズ工芸などををご自身でされている方に向けて、オリジナル
  パーツを作るお手伝いをさせていただきます。
 
  例えば、ボタンやチャーム、マンテル、金属タグなどの原型制作、量産鋳造の
  方法、発注の仕方などの指導。

 ・天然石・パールによる鎖づくり。雨の滴のようなチェーン「Pioggia」を作り、彫金の
  パーツと合わせます。BOCCAには沢山の美しい天然石のビーズ在庫があります
  ので、選び抜いた配列で美しい鎖を作っていただけます。



Pioggiaの鎖 

 

:材料費について
  BOCCA Jewely making  lesson では各自のサイズ、感覚に合わせたボリュームで
  制作して頂きたいため、全て講習費とは別に実費(地金+鋳造費+送料・手数 
  料)を頂戴いたします。重さの概算でお値段は鋳造前にお伝えいたしますが金銀
  とも時価になるため、多少の誤差が生じることをご理解とご了承くださいますよう      
  お願い申し上げます。

  Pioggiaの材料費は銀線・k14GF線は各自でご購入していただき、真珠・石に関
  してはチェーンの長さに合わせてお値段設定をいたします。お好きなものを選び
  使って頂けたらと思います。一部、特殊石(宝石質のルビーやカットの珍しい石な
  ど)は一粒売りになります。

:最後に

  私が装身具を作り、それをお店に置いていただいて13年になります。
  そのうちの数年はPioggiaの技法による天然石を使った品でした。
  石や真珠を見て思いをめぐらせ形にするのは 自然のフォルムや色と対話を
  する楽しい作業でしたが、もっと複雑な部分から生まれる自らの感覚を形にしたく
  なり、全てを自分で作り上げる彫金へと進みました。
  
  自分の内なる声を聴き 形にする・・それは素晴らしく豊かな時間。
  日常から少し離れたアトリエ箱庭の部屋で過ごすひととき、ジュエリー制作を通し
  お手伝いできれば幸いです。

                    
  ♦ 生駒 美佳  (BOCCA ジュエリークリエーター)
     京都精華大学芸術学部洋画科卒
     日本宝飾クラフト学院 ロストワックス専科 ジュエリー専科 両修了
                      
 

 
                       

  
  
  

    
 


  
  
   

   
      
 

2014年3月1日土曜日

手の力・・BOCCA Jewelry making lesson

同じ曲を演奏しても、全く違う音色に聴こえた・・というのは有名な演奏家のエピソードとして多いですが、同じことは 工芸美術でも、演劇でも お母さんのオニギリでも言えることではないでしょうか。

シンプルであればあるほど、際立つ違い・個性。
彫金ならば 甲丸リングがそれに当たるように思います。
アームからどの様にシェイプしてゆくか、微妙な厚み、表面のテクスチャー・・・
無味乾燥な環ではなく、その中にびっしりと バランス感覚が詰まっています。
そして その一つひとつが 個性的で味わい深いのです。

その人の息づかい、それを閉じ込めて身に着けられるのがオリジナルジュエリーの愉しみです。
このたび、4月から 大阪・北浜の「アトリエ箱庭」さんにて彫金教室を開講することになりました。
ロストワックスという蠟を使い原型を作る方法でシルバーやゴールドのジュエリーを作ります。指先に力が要らず、何度でもやり直しが可能なこの技法は、絵を描く感覚に似ています。
 

「アトリエ箱庭」さんは 川を見下ろす素敵な部屋。
古き良き時代の大阪の息吹が感じられるこの部屋で ジュエリーメイキングの時間を皆様と過ごせたら・・と思います。
詳しくはHP・インフォメーションをご覧ください。  (bocca.p2.weblife.me)
薫り高いお茶をいただきながら、ジュエリーにまつわるお話などもしながら過ごせたら・・と願っています。

お申込み・お問い合わせ・・・「アトリエ箱庭」 haconiwa_k@yahoo.co.jp

            
                                                
好きなモノグラムを組み合わせても


                   
箱庭さんからの眺め



2014年2月24日月曜日

春の港町へ

ソチ五輪も終わり、いよいよ春到来という陽射しですね。
まだまだ私の住む大津市は寒いのですがだんだん湖の色が変わってきました。
春はエメラルドグリーンがかった そしてすこし煙ったような水の色になります。

昨日はBOCCAのジュエリーを扱ってくださっている神戸のaliさんに出向きました。
うららかな陽射しの神戸、外にでる人も多く賑やかな休日でした。
JRで私の住む大津から京都ー大阪ー神戸とは1本の電車で行けて変わりゆく車窓を楽しめる距離なのですが、寒い→ほんわか→暖かいと短い時間にかなり様子が変化します。咲いている花木も大津と神戸では全然違うのには驚きです。
神戸は三ノ宮・元町で降りるのですが、このまま垂水まで行って砂浜でゆっくりしたい~~!という誘惑にかられます。(電車で15分くらいの距離なので可能なのですが。)

aliさんでは 若い男性が 北欧の椅子みたいなスツールとLPジャケットを立てるbookendをお買い上げになり、夕食の白菜と共に颯早と帰って行かれた場面に遭遇しました。まさに生活に息づくアンティークとの付き合い方です。
また、boccaの真珠のペンダントをお買い上げくださった方と偶然お会いできました。自由な気持ちの良いファッションスタイルをお持ちの女性が大切に着けてくださっていて、とても嬉しく思いました。

いつもaliさんに伺うと感じることは、こちらに集まる品は皆、それぞれに愛嬌のある強い個性があり、しかし良い意味での角がないということ。その雰囲気はオーナーさんお二人の センスとお人柄なのだなと思います。
昨日も汽笛が聞こえるこのお店で、心くすぐる品を見つけました。
5cmくらいの肉厚の鉄でできたカラビナのような金属、かわいいバックルの模様がついているベルトを模した古い知恵の輪の一つです。
しっとりした肌合いの指にまとわりつく感触、楕円の穴に指を通すとクルクルと沿わせてもてあそぶ楽しさ、さすがは知恵の輪、なんだか良い考えが浮かんできそうですw
 aliさんは余りメディアにはお出にならないのですが、関東のスタイリストの方も足繁く通われるこのお店、みんな自分だけの隠れ家気分なのかもしれません。
そして、お店の方とのお話しが楽しくてゆっくりした時間を過ごしたり、そこで出会ったお客さん同士、お話しが弾んだり・・またたく間に時間が過ぎてゆきます。
cafeスペースもあり、たっぷりと美味しいココアやコーヒーも頂けます。

ぜひ、ゆるりとした春の港町、神戸・栄町にお出かけください。その際にはaliさんに是非お立ち寄りくださいね。

                

2014年2月10日月曜日

アスリートのジュエリー

ソチオリンピック 開幕しましたね。
スポーツの祭典は 一瞬一瞬にかけるアスリート達の姿や、色んな国のお国柄が出て いつも睡眠不足になりながらも楽しんでいます。

この頃のスポーツ選手はとてもお洒落です。カッコいいです。
髪形、服装、そしてジュエリーに至るまで 個性的でかつ本人も心地良いのだろうな、と思わせるこだわりが見られます。

注目はフィギュアスケート。
トリノ五輪で荒川静香さんが金メダルを獲ったとき、彼女が身に着けていた ダイヤモンドが三つ揺れるピアスが流行りました。清楚に揺れる上質のダイヤモンド、彼女にも演技にもぴったりでした。
安藤美姫さんはかつて お父さんの形見のリングを鎖に通してペンダントにしていました。
今回の選手の中では 鈴木明子さんが一番のジュエリー好きと見受けました。
ショート、フリー、インタビューやその他のシーンでも ネックレス ピアス 指輪が光ります。さすがは大人の女性、真央さんや佳菜子さんにはない女性らしい一面を見るような気がします。特に印象的なのが鈴木選手のピンキーリング。手の表情に煌めきを与えています。
海外選手は皆 堂に入った身に着け方です。ロシアのプルシェンコ選手、かなりボリュームのあるペンダントです。彼はタトゥーも沢山入っているので 身体を装飾することに於いて 独自の感性がある方なのだと見受けられます。スケート技術の凄さは勿論のこと、アクの強さ、独自の世界観でフィギュア界の皇帝として君臨してきた彼にぴったりのペンダントです。(ハイネックの衣装が多いためネックインしているので ペンダントは競技中に飛び出して フィニッシュで見れる感じでしょうか)

外国では幼い頃から年齢に合ったジュエリーを身に着ける習慣があります。アクセサリーではなく 本物のスタンダードに身に着ける装身具としてのジュエリー。
若い肌には金属の持つシンプルな光と小粒真珠のような清楚なものを。極小さな誕生石や代々受け継がれてきたアンティークの指環など。
海外の選手は若くても 衣装ではない個人的なジュエリーを身に着けているのを見ると 文化的な奥行きを感じて楽しめます。

さて、これから個人戦ですね。もうワクワクして眠れません。演技に心酔しつつ
ジュエリーにも注目すると、選手のパーソナルな部分を感じ取れるかもしれません。

                       
皇帝のペンダント じっくり見てみたいw

          
羽生くんは若者らしいペンダントw

2014年2月2日日曜日

誕生日の石

2月が始まりました。
誕生石というのは みんな割と馴染みのあるもので 自分の誕生石は知っているひとが多いのではないでしょうか?
2月はアメジスト。紫水晶として日本やアジアでも産出される石。
和服にも似合いますよね。
アメジスト×ターコイズ×ゴールドの組み合わせは1920年代に流行った オリエンタルなファッションによく似合うフラッパーの雰囲気。
泡のようなシードパールとの組み合わせも 甘さと大人っぽさが同居して素敵。
色んなキーワードを合わせ持つアメジストは 表情豊かな石ですね。

誕生石というのは 一部旧約聖書の中からのいわれがあるそうですが、ユダヤ人宝石商が月ごとの石を決めて12石を持ってもらおうと考えたのだとか。
なかなか12個の宝石を持つことが出来ないため、せめて自分の生まれ月の石を持つことが誕生石の始まりだそうです。
それが 国ごとに特産の石などを加えているのが 現在の誕生石。日本では珊瑚や翡翠などがそれにあたります。

誕生石と似たものに 365日の誕生日石も存在するのを知りました。
(だれが決めたのでしょうかね・・・)
今日 2月2日は「ドロップパール」
フェルメールの「青いターバンの少女」が身に着けている 大粒の滴型の天然パールです。当時の真珠は今よりもずっと価値が高く、しかもあの大きさは特権階級の証。
映画「真珠の耳飾りの少女」では スカーレット・ヨハンソン演じる女中がフェルメールのモデルとなるのですが、奥方の真珠の耳飾りをピアッシングする場面、なんともゾクゾクする官能的な光景でした。
ドロップパールが脚光を浴びるあのシーン、そしてフェルメールの絵画がそのまま再現されているあの映画を時々DVDで観ながら過ごす午後・・・静かな至福の時間です。

                
熟れた果実のようですね、ドロップパール

2014年1月16日木曜日

寄り添う仕事

NHKのプロフェッショナルという番組はいつも録画して お昼ごはんを食べながら見ています・・が食事を中断して涙しながら見たのが1月の初めの「義肢装具師・林伸太郎」の回。
身体のパーツを事故や病気で失った人に その人の身体の特徴をリアルに再現して義肢を作る林さん。そのこだわりと情熱は半端なく、少しの微差にも妥協がない。
注文主がOKを出しても 交通費を自分が被ってでも「その時出来るベストを渡す」という信念は曲げない。

彼はモノづくりが好きだった少年時代から一直線に義肢装具士になったわけではない。高校を卒業しても進む道が決まらず 様々なアルバイトを重ねてきた。
この仕事に出会ったのも 本屋さんで手に取った義肢装具士の資格ガイドによるものだったという。それからは 研鑽を重ね 大手のメーカーに就職するも自分の目指す「モノではない、人生の伴走者」であるオーダーメイドの義肢を作るべく独立開業した。
私も去年、中指が人工関節の女性の依頼で、特別な仕掛けの指環を作らせて頂いた。いままでのマニュアルにない物をつくる難しさ、そして喜んで頂けたときの嬉しさを少し体験した。
林さんほどの人でも、余りにも難しい依頼に納品の日に逃げた事があるくらい毎日プレッシャーと戦っている。
晩酌をするのが唯一の愉しみという林さんを理解ある奥様がしっかり支えているのだが、画面からも 心底 大変な仕事だということが伝わってきた。

林さんは なぜそこまで真摯にその仕事に打ち込めるのか。
人は 色んな理由で仕事をするけれども 時々、神がその人に役割を与えたのだな、と思う仕事ぶりの人が存在する。でも、才能を育てる才能や、その才能を支える人の存在など、いろんな要素が満たされて一つの仕事が完成する。
もちろん、気楽に生きることも 我儘に生きることも 人それぞれ。
でも、林さんの「今日の自分を乗り越えていくのがプロフェッショナル」という言葉に感動して涙ぐむ私は 自分に与えられた何かを形にしたい、出来れば誰かの人生に寄り添う仕事をしたいと願っている一人なのだと実感した。

2014年1月5日日曜日

新しい春に

音楽を奏でるひと/沢田英男
新しい春がきました。
子供の頃 まだまだ寒いのになんで新春?と思いましたが、やっとその感じが掴めるようになってきました。
木の葉がすっかり落ちたあとの 樹の梢、その美しさをしみじみと感じ 枝先に膨らんだ若芽を見ると 次に来る季節の準備をしている自然の営みに圧倒されます。

今年は雪景色はまだ見ていないのですが、雪をたわわに乗せた枝に若芽の膨らみを見ると 強靭な美しさを感じます。

今年はいくつか進行している計画があります。
作品も展示会という形で発表できたらと思っています。
 

今年は制作に そして音楽を聴く年にしたいなぁ・・
去年は生演奏を2回しか聴いていない 少し寂しい年でしたので。
音楽を聴くこと、演奏することの喜びを取り入れて さらなるパワーアップに繋げたいと思う新年です。