2013年3月29日金曜日

懐かしい星

木星が持つ62個の衛星のひとつ カリスト。ガリレオ・ガリレイが見つけた衛星のうちの一つでもあるからガリレオ衛星とも言われている。
惑星を撮影した素晴らしい写真集「BEYOND」を見ていて ふいに郷愁にも似た感情をこの星に抱いた。

幼い頃から宇宙は私にとってはロマンではなかった。
深い井戸を覗きこむ 足のすくむ恐怖。
宇宙を考えるとき 私たちはどこからきて どこに消失するのか、という問題を避けては通れない。死に対する恐怖。生まれてきた神秘よりも消失の方が怖かったのだ。

時間という概念も 宇宙を前にすると芥子の花びらよりも頼りない。

本当はこれほど身近で誰もが意識して当たり前の宇宙について 日常的に語られるのは彗星が来る夜とか日食が見える日なのは 私と同じく畏敬の念や恐怖心を皆そこはかとなく抱いているからかも知れないと思う。

その中で見つけたカリスト。
遠い木星のかなた廻り続ける星に 親近感を抱くのは何故なんだろう?
誰も知らない異郷の街でであった親しみのある横顔のように、未だ見ぬ世界で3人いる自分と似た人に出会ったように。

2013年3月20日水曜日

技法のことなど。

彫金の技術として、大きく二つのカテゴリーがあります。
一つは金属から削りだす昔ながらの彫金、もう一つはロストワックスと言われるロウを削ったり溶かしながら成型したものを金属にしていく技法。
BOCCAは主にロストワックス技法ですが、ケースバイケースでどちらの手法も取り入れながら作っています。
というのもそれぞれに長所・短所があるからなのです。
例えば 融点の問題。
全く金属同士をロウ付けせずに成型したのであれば問題ないのですが、ガラスの粉を溶かした液につけて白く仕上げる技法などは高温になるため、接合部分が溶けてしまう場合があります。反対にロストワックスでは収縮率が読めなかったり、隠れた部分がキャストできない事もあります。
常に色んな道を想定して 様々な技法を組み合わせていく、というのが現代の作り手の一般的な技法ではないでしょうか。

長い時間をかけて作ったものが、やっぱり強度の面でダメな時もあります。

ハッキリ言って落ち込みます。でもそれはは彫金以外でも制作と呼ばれる仕事ではみな同じこと。捨て仕事6割と思って良いのでしょう。
失敗は有難い経験と思い また進む、という事の繰り返しです。

2013年3月10日日曜日

マリーアントワネットの愉しみ

前回のブログでルイ16世の鍛冶仕事について書いたけれど、その錠前は見当たらない。しかし、マリーアントワネットに贈った懐中時計のねじ巻きは現存する。この金とラピスラズリの作品、ルイ16世のセンスがいかに洗練されていたかが伺える。
去年、マリーアントワネット展で展示されていたらしい。このラピスラズリ、天体を思わす半球で地味ながら知性的な彼の性格を偲ばせる。このネジ巻きにチェーンかベルベットのリボンをつけ そっと取り出してネジを巻く、なんとも美しい光景・・・

そして次に気になるのが マリーはどんな時計を持っていたか?
それが これ。ブレゲの時計。(数種類所有)
 
 
  なんという機能美!!!この時代にこんな繊細なメカが作られていたなんて。
天才時計師ブレゲをバックアップしたマリーも素晴らしい審美眼。本物の美しさは
贅沢に育った本物の貴族によって守られ育てられる。
この時計を見る限り マリーのドレスにはそぐわないくらいハンサムな時計たち、
愛人のスウェーデンの貴公子フェルゼンも愛用していたとか。その時計のネジ巻きを作るルイ・・なんとも切ない話ではある。


2013年3月8日金曜日

ルイ16世の愉しみ

 
    「ベルサイユのばら」を読んだのは 確か小学校5年生の時。フランス革命・断頭台という悲劇的キーワードに一番弱かった時代 コミックだけでは飽き足らずマリー・アントワネットの伝記も読み、この時代への憧れで頭を一杯にした時期があった。
個人の意識と時代の流れが一致しない不幸や 啓蒙し、啓蒙されるという構図の恐ろしさ面白さをどの程度まで分かっていたかは別として、実はずっと頭から離れられない疑問があった。
それはルイ16世が趣味の錠前作りに熱中して 政治にもマリーからも逃げていたという一文である。
 
小学生女子に錠前作りなんて 想像しろという方が無理であった。華やかな宮廷生活や国王としての役目を凌駕する趣味・鍛冶仕事・・・日本の地味なカンヌキしかイメージできず、どうしてこんな庶民的なものを作ることに熱中したのか 意味が分からなかったし、ルイ16世という男性に対する実は最大の謎であった。
 
ルイ16世の錠前は私の知る限りでは現存していないようだ。今になってわかるが、きっとそれは複雑なアラベスク模様やイニシャルや家紋の入った美しいものであったことは想像に難くない。性格的には宝石などは入れていない様な気もするが、
おそらく二重、三重に仕掛けられた複雑なしかけなどもあったのではないだろうか。
そして鍵。きっと重量感と繊細さが組み合わされた 手の中でズッシリとした重みのあるものだったと想像する。
ベルサイユ宮殿の人工的な庭の一角にある石造りの鍛冶場で 時を忘れて火と戯れ生き物のように溶けた金属を御していく愉しみ。少しづつ 完成に向かっていく最後の過程を息を殺してヤスリをかけ 鹿皮で磨き上げていく。油をさし、そっと鍵穴に鍵を差し込み回すその手ごたえ、音。その音はどんな音だったのだろうか。
至福の時間を過ごすには十二分の趣味である。
 
昨夜、仕掛けのある指輪を制作していた。
4ミリ幅のアームに蝶番をとりつけ時計のベルトの様に取り外しをする。
一削り、また一削り、精密ヤスリを滑らせ少しずつ曲がる可動域を広げていく。
23時ごろから削り始め、気が付くと3時になっていた。
金属に仕掛けを作る楽しさ、ルイ16世の夢中と重ね合わせた。

2013年3月4日月曜日

知らないを知る

 
 
 
  
享楽的な部分って個人的なものだけど、ストイックな人だろうがユルい人だろうが
その部分が人生の時間に費やす割合って 同じような配分なのでは?と思っている。気が乗らない仕事をしている時間と夢中になっている時間、そしてダラダラと自分をほぐしている時間・・・忙しさの中で 愉しみさえもルーティンワークになってしまっては ガスが充満してしまう。新しい風穴も必要。
 お酒は享楽的な楽しみの代表選手格。私も人並みにビールやワインを飲んできたけど、本当にアルコールを楽しむという事をまだ分かっていないという事に気が付いたのは友人たちと 大阪の堂島サンボアに行った時のこと。

老舗のBarサンボアは無音の空間。白いバースーツに身を包んだ男性たちが静かに そして機敏に立ち働く。カウンターはスタンドのみ 太い磨きこまれた真鍮の止まり木、劇場の舞台の様に光り輝くアルコールのボトルに向かってほの暗い座席が周りを取り囲む。
オーダーしたモスコミュールは 今まで私が知っている同じものとは思えない 深く濃い味わい。ほのかにライム色に光るグラスには 舌の上でころがすお酒と戯れる喜びが詰まっていた。「私はまだ何も知ってはいない」・・・もっと 素晴らしいこと、味わい深いこと、魔的なこと、そんなことが世界には溢れている筈だ。分かったつもりでウソぶいている場合ではないのだ。
 老舗と呼ばれる店には 自然と自分を照らし合わせる鏡が用意されている。