2014年11月24日月曜日

古いものたちと私 ③ あまりにも凝り性な家

私は転勤族の家庭に育った。
古い調度品などはどこにも見当たらない。
社宅の持つ合理的な間取りの並ぶ集合住宅は、その都市でも最も治安が良く、学区も安定した場所に建っており、その光景は蛍光灯の全光状態のように影のないものだった。

次に住む家の広さも分からず、辞令が出て2週間で引っ越さなくてはならない環境では、美しいものが好きな両親も家具や調度品を増やす訳にはいかず、実にさっぱりとした合理的な住まい方をしていて、それはそれで清々しいほどだった。

古いものと私の出会いの最初は、お盆の時期に毎年帰省した京都・西陣にあった祖父の家だった。
戦前に建てられたその家を西陣織の帯の図案師だった祖父が買ったものであったが、今振り返っても施主は狂がつくほどの普請道楽だったに違いなく、その記憶は鮮明である。

その家は一見、二階建てだったのだが、壁に寄木細工のようになっている一部分を外すと、羽の付いた三角の板が現れ、それをセットすると三階に登る階段が現れる。
転がり落ちそうに切り立つ階段を上がると、四方ガラス窓の灯台のような3畳ほどの部屋に行き着く。薄暗く急な階段の先には、カラリと視界の開けたガラス張りの部屋が現れる不思議はお盆の五山の送り火を見る為だけに作られた部屋で、京都に灯される全ての送り火を見る事のできる特等席であった。
しかし、その階段の恐ろしいこと、ガラスの部屋には行きたいのだが、その階段を登るのは容易ではなく、いつも大きな従妹たちが難なく登って行くのを悔しく見送っていた。
台所は京都の町屋によくある細長い土間で、高い梁の見える天井には煙突の穴と共に採光の小さな窓も空いていた。
土間と茶の間には高い上り框があり、黒光りする板が何枚も嵌められていた。
その板には丁度、指が差し込める穴があり、板を持ち上げると床下収納になっていて、醤油や酒瓶、糠床、米・・その他台所に関する様々なものが収納されていた。
そこも、私にとっては未知の漆黒の世界・・・床下の隅は真っ暗で闇の目が射抜くように見ている気がして恐怖で震えあがった。
茶の間の壁面一杯に黒く光る茶箪笥も都会暮らしの私には謎の代物だった。
大きな引き出しはともかく、トランプくらいの引き出しも無数にあり、扉を開けると細く長い引き出しがまた現れるからくり、不思議な手順でしか開かない扉、開け閉めするたびに「フゥファー」とハーモニカの音がする引き出しなど、今思うと昔の指物師の気概が漲った素晴らしい茶箪笥なのだか、幼い私にはその家具自体が生き物のようで、夜に見るのが怖かった。
京都の町屋によくある坪庭と渡り廊下の離れ部屋、表の庭にも渡り廊下の先に客人用のご不浄があり、手水鉢があった。
家の中外が入り組む生活など、社宅のマンションでは想像外の世界だった。
しかし、そこまでは京都の町屋では時々見られる形態ではある。

この家には普通の町屋以上の酔狂な仕掛けがあり、いつも私を怯えさせた。
今から30年ほど前改築をしたのだが、町屋にも慣れている大工さんでさえ首をひねり「大徳寺の忍者屋敷」と呼ばれた所以のからくりが。

茶の間の奥の押入れを開けると暗闇に箱階段が見え、そこを登ると中二階のような納戸があった。そしてその押入れは客間の押入れと繋がっていて襖を二回あけると違う部屋にいきついた。その暗闇・・・そして、その押入れの壁に上部にハート型の染みのある壁があった。その壁は一見壁なのだが、押すと扉になっており、どこまでも続く(と思われる)廊下が吸いこまれるような闇をたたえていた。そこはさすがに祖母たちも入る気がしなくて、使っていない開かずの扉、踏まずの廊下であった。
改築の際、大工さんが踏込んだところ、その廊下はグルリと家と壁の間に存在し、なぜか二階の踊り場の隠し扉に続いていたという。
一体何のために?その答えは施主しか分からない。
アンネ・フランクの家か、伏見の池田屋か、のような不思議な作りの家は、子供心に「古いものは凝りすぎていて、そして闇がある」という概念を植え付けた。
面白く、豊かな思い出ではあったが、闇の黒さに押し潰されそうな気持ちにもなり
よくもこんな怖い家に住めるものだと感心もした。

一時は10人ほどが暮らした大きな家だったが、今は80歳を過ぎた伯母が一人で住んでいる。
先日、関東から京都の町屋に越された方のお宅に伺った。
パリの屋根裏部屋にも2年前に住んでらしたその人は、古き良き京都の家と欧州の稀少な本をさり気なく飾った居心地の良い部屋で、自らの美学に忠実に愉しく暮らしていらっしゃった。
吹き抜け天井には濃茶の梁が通り、光庭には白い山茶花が咲き始めていた。
そしてその人もこう仰ったのである。
「実は、屋根に近いところにもう一部屋あるみたいなんですよ。まだ入ったことはないのですが。」
京町屋、恐るべしである。

2014年11月21日金曜日

古いものたちと私② 愚者のカード

個展の打ち上げに、京都・四条の「カフェ・オパール」さんに連れて行って下さったのは、幻想的な美しき世界を構築する版画家のY嬢であった。
そこは、細い鉄の扉を押して路地を入る京都の町屋の構造をそのまま残したお店で、何風ともひとくくりでは言い表せないある気配が漂っていた。
天井には古い大きな梁が見え、吹き抜けに続くミントグリーンの壁が香港映画「花様年華」を思い起こさせる空間に私達は収まっていた。
このカフェでは中世から続くマルセイユ・タロット・リーディングをしているらしく、それが素晴らしい読みなのだとY嬢からお聞きして、個展が終了したこの機会に見て頂くことにした。

そのリーディングは的確で、そして愛情に溢れ、しかも毅然としたものだった。
私の本性は「数を持たない愚者」のカードだった。
襟に沢山の鈴をつけ、杖を持ち、犬にズボンを噛まれ、穴だらけの恰好の愚者。
しかし、悲惨な雰囲気は微塵もなく、鼻歌を歌っているかのような実に楽しげな表情だ。
「愚者の連れている犬は霊感を表します。この霊感を連れて怖がらず、どこまでも進んで行くのが愚者なんです。」

私の敬愛する洋画家の先生がいつも仰っていた言葉を瞬間思いだした。
「モノを作る人間はアホですわ。アホでなけりゃ、こんなどんどん溜まっていくのに絵を描き続けることはでけしません。」
その先生は祖父は日本画の大家で、フレッド・アステアに似たお洒落な先生であられたのだが、他のいくらでも成功する道があったにも関わらず画家という道を全うされた中で「アホやなぁ・・」と感じながら情熱的に画業に勤しまれたに違いない。先生は去年、この世から旅立たれたのだが、その美しく洒脱な絵と人柄を想う時、暖かな陽射しの中で眩しそうに遠くを見ていた、ひとところに収まらない風のような雰囲気を瞬間、身近に感じるのだ。

後先を考えたり、経済効率を優先すると創作活動は怖くてできたもんじゃない。
このカードに描かれる霊感と情熱と鼻歌をもって歩む愚者は、私にとって憧れでもあり、先生でもあった。
そして何よりも BOCCAのアイコンである野原に寝そべる若者にも酷似していた。

霊感を持つ愚者・・・これが私の古いものたちとの関わりにも大切なキーワードのように思う。










2014年11月20日木曜日

 古いものたちと私 ①

先日終了した京都での個展には ペンダントの素材であり、テーマである
1684年の結婚誓約書の実物を併せて展示した。

何気なくギャラリーに入った老若男女は、一様にページをめくり、紙質を確かめ、びっしりと小石を敷き詰めたアッピア街道のような文字に見入り、そして修正跡のなさを確かめ、何となく喉から押し出すような感じで「いい物を見ました」と去って行かれる
ことが多かった。
音楽を演奏する人は「楽譜のよう」、カリグラフィーをされている人はそのペン先はどんなものであったのか、色々と検証されていた。

古文書慣れをしているルネサンス美術の若き研究者さんは、
目を通しながら「この人、借金がありますね」とクスリと笑い、本をモチーフに絵を描く画家さんは、その本のザックリと止めてある麻紐や羊皮紙の破れをカメラに収め
本という物質感を愛おしそうに眺めておられた。

たった一冊の筆跡がびっしり詰まった本・・・それが与える時間を遡る感覚は
ギャラリーの空間に潜む小さなネジのような役目を担っていた。

私の古いものについての愛着は いつの頃からだったのだろう。
330年も昔の文書を手にし、ジュエリーに仕立てるまでの道のりは
昨日今日の古物好きというわけではないのである。
そして、当然、古ければ何でも良い訳ではない。

そこのところを思い出して記してみたい。

            
                 


2014年11月11日火曜日

「les amours 1684」ありがとうございました。

お陰様をもちまして BOCCA個展 「les amours 1684」が盛会のうち無事終了いたしました。
ご来廊くださった方々、そして手に取ってご購入下さった方々、またSNSを通じて
情報を発信してくださった皆様に深く感謝と御礼を申し上げます。

今回、ジュエリーのみならず、古文書ファンの方との交流する機会を得て、これが個展の醍醐味と実感いたしました。
私と縁があってはるばるやってきた フランスの結婚誓約書。
1684年から1685年の二年間の愛の束。
その流麗な文字やスタンプに、美しさと人間の息づかいを感じて頂ける同朋の多さに 心強いものを感じました。

高速で動く合理的な社会の住民である私達にも、一文字一文字の持つ力強さ、繊細な美意識はかけがえなく、そして心動かすものであるという真実。
その美しい文字から感じ取れる息遣いを 私の持つ技術でペンダントに仕立てる喜び・・それは、彫金家として至福が詰まった作業でした。

珊瑚がモチーフについた品は、珊瑚の持つフォルムが血管とイメージが重なるように
文字も珊瑚のフォルムと相談しながら決めました。血管=息遣い、人の体温を感じるジュエリーの完成まで、実は3年の試行錯誤がありました。
グレイムーンストーンのモチーフは思考するイメージ。
詩的な文字を選び、月夜の窓辺に置かれた本のイメージを形にしました。

金属のハートとスクエアのヘッドは 文字の魅力を際立たせるシンプルなデザイン。
文字そのものの美しさを楽しむ人に。

古文書以外のジュエリーに於いても、ご興味を持たれたり、ご購入下さった方は一様に そのジュエリーの意味を感じ取ってくださったのでは・・と思いました。
なぜなら自分の内面世界に近しいデザインを選んで下さっていたように感じられたからです。

「私は普段、ジュエリーは身に着けないんだけど」と仰る方が ご購入くださる時、BOCCAのジュエリーの特徴は「自分を飾るだけではなく、その人の内面世界を少しだけご紹介する窓」としての役割があるのだなぁ、と感じずにはいられませんでした。これは、本当に有難く、貴重な体験でした。

今回、京都市・中京区の三条通と御幸町交差点の角という ザ・京都というべき場所での展覧会に、沢山の生粋の京都人が来られましした。
皆さん 手仕事に対する気持ちが暖かく、沢山の励ましと優しさを頂戴いたしました。
重ねて 心より御礼申し上げます。




 





2014年11月7日金曜日

"les amours 1684"  個展開催しております。

11月3日より始まりました個展 ”les  amours 1684"
連日、沢山の方にご高覧いただいております。

作品と共に、空間や低くかけている音楽、シードルトンのキャンドルの香りも
楽しんで頂いている様で とても嬉しく思います。

330年前の結婚誓約書の実物に皆様 一様に驚かれますが
そこはさすが古都・京都、「そういえば 室町時代の書き付けが仏壇にありますわ」
など古の筆跡の魅力についてお話しを伺ったり。

今日から後半、日曜日までの開催です。
京都にお越しの際は ぜひ お立ち寄りくださいませ。

京都市中京区三条御幸町 東南角 1928ビル 1階
同時代ギャラリー/コラージュ にて。