2012年12月31日月曜日

今年の終わりに

                              
    今年は 出会いと別れの多い 忘れられない一年となりました。私の師匠が亡くなり、そして私が自分を映す鏡として大切にしていた場所が無くなりました。どちらも、ずっと傍にいて欲しかったけれども、それは、もうそろそろ独り立ちしなくてはいけない、という巡り合わせでもあったかも知れません。
 
そして、沢山の新しい人たちと出会い、少しづづ何かが変わってきているのを感じます。
 
誇りを持って 丁寧に自分の世界を追求すると共に、出会いのあった人たちといい時間を過ごしたい・・旧知の人とも暖かい関係を築きたい、そんな事を願っています。
 
ありがとう、そして これからも宜しくお願いいたします。                          

2012年12月29日土曜日

 
 
最近よく感じること。「あの時 上手くいってなくて良かった」
どんなに望んでも頑張っても タイミングが悪かったり、何かがチグハグで上手くいかないときがある。その時は悔しい思いはしても、時間がたつとそれは当然の流れだと納得できることばかりだ。
 
思慮深い人は、失敗の前に自分が成すべきこと、その力量をちゃんと推し量り、準備をして行動にうつすものだが、私のように衝動的な人間は、失敗という答えを目の当たりにして初めて自分の器の大きさや目標設定の無理さを知ることになる。でもそれもこれも、自分の力を超えた流れの中で必要に迫られた失敗だと考えるようになった。
 
運命的に出会う事柄についても、一つの事象にはずっと過去からの導火線があり、そこにあるものが 誠実でも不実でも、成功でも失敗でも、狡猾でも正義でも、すべてはたわわに実る果実だと考えている。一つの揺るぎない時間の流れの中で 決して切り離すことのできない様々な出来事が絡み合っている。時間は残酷でそして優しい。時々、胸が苦しくなるほどの後悔や悲しみが襲ってきても、それに至る道のりには、全ての手順が踏まれていて決して一つだけを消し去ることは出来ないのだ。
 
「やがて すべては一つの円の中に」この秋に亡くなった画家 宇佐美圭司氏の作品にこんなタイトルのものがある。輪廻転生や生命論を主題にしているのだけども、時々この題名が頭の中をよぎる。全ては繋がりあい、一つの環になっている。
 
できることは、失敗のカードを引かないことではなく、失敗のカードに裏書された必然性について 目を凝らすこと。
そして、しばらくは 時が過ぎるのを待つこと。
悲しみは いつか形を変えていく。
その時間を真剣に生きた証として、新しい扉の鍵となって再び現われるのだ。
 
                              
                               

                              

2012年12月28日金曜日

それも またよし。

    
 
 いよいよ年末。といっても あまりバタバタしないように心掛けているけど、やはり 年末年始の定番の品は用意したくなる。
京都の千本玉壽軒の「西陣風味」「お干菓子」、 生湯葉(去年から大豆アレルギーになって私は口にできないけども)、一保堂のお茶、茨木屋の蒲鉾や卵焼き・・・明日は 年末のお買いものに出かける予定。そのついでに(?)バーゲンの下見もしたい。この3年、いつも着ているカシミアの黒いロングコート・・・相変わらず着ていて満足だけど、もう少し明るい色のコートも欲しい。この前 大阪のフィガロで見かけた イタリア製のミルク色のロングコートは中はクルクル渦巻く羊さんの毛のようなファーが付いて心も軽くなる、そして間違いなくお財布も軽くなるアイテムだったし、ロングのダウンコートは上品な明るいグレーが新雪のようだったな(うっとり) 

一番必要なのは 深い胸空きのカシミアセーター。いつでもある・・と思っていたら意外となかったり。洋服にはパーマネントなものはなく、清水ジャンプはしないのが賢明と知りつつも、トキメキがないと買っても楽しくない。靴はどんなに素敵でも痛かったらオブジェとして箱の中で眠ることになる。そんな靴が3足もいる。 いつ果てるともないお洒落の世界、セールという祭りにまだまだ参加してしまうけど、それもまたよし・・かな。                           

2012年12月26日水曜日

マイルストーン

クリスマスが終わりましたね。展示会終了から2週間、完全オーダーの品は年越しですが
セミオーダーの発送が終了しました。やはり、出来ればクリスマスに届けたくて、タイトにはなりましたが頑張ってよかったです。みなさん「素敵なクリスマスプレゼントを貰ったみたい」と喜んでくださったので。
クリスマスは人生のマイルストーン。みんなそれぞれ 記憶に残るクリスマスの思い出があるのではないでしょうか。NYのクリスマスシーンにひたすら憧れた10代もあり、初めて彼と過ごすクリスマスもあり、教室の天井につかえるほどのモミの木を切り倒してきて大騒ぎをした学生時代とか、親がプレゼントをせっかく隠していたのに押入れにパンダの縫いぐるみの耳が見えた子供の頃とか、逆に親になって子供から必死でクリスマスプレゼントを隠したこと、お寺で秘密のリース作りを開催してくれたママ友のこと、クリスマス鍋をするためにキャロルの流れる商店街を葱やシラタキを手に提げて歩いたこと、T&Co.でバイトをしていた時は水色の箱に白いリボンの包装をし続けて切なかったり。誰もが心に刻んでいるマイルストーン的な特別な日の思い出に 私のジュエリーも加えて貰えたなら、それは私にとってはこの上もなく嬉しいクリスマスプレゼント。いつのクリスマスも思い出深いけれども、2012年のクリスマスは特別なクリスマスでした。


                                                                            

2012年12月24日月曜日

悪魔の一滴をさがして

                        
 
よく「華がある」という言い方があるけれども、この華につて色々考察できるいい機会なのがフィギュアスケートかも知れない。
決められた同じ時間を滑るのだから、その時間を長く感じるか一瞬の間と感じるのかで、自分がどのくらい魅力を感じているのかが分かってしまう。そして、そこには「華」の存在が必ず関係するのだ。
これは、フィギュア以外のあらゆる芸術やスポーツは勿論のこと、人間が関わる全てに当てはまることだと思う。
 
ピアニストの中村紘子さんがチャイコフスキーコンクールの審査員をしてた時に言われた言葉。
「そのピアニストに悪魔の一滴があるかどうか」
人を魅惑し、言いようのない陶酔の世界に導くものを指す素晴らしい表現だと記憶している。
どんなに上手くても陶酔できない芸術もあるし、魅力はあるのに技術不足で美の王国の入口で立ち止まってしまうものもある。
そのどちらもが兼ね備えられなければ、人を幻惑し、魅了することはできない。しかし人は必ず失敗もする。しかしそれすらも美しいと感じさせることが出来るのがすなわち、悪魔の一滴の仕業、華のある人の仕事である。
 
あらゆる物や表現の中に 悪魔の一滴を探そうとしている。それは、いつも宝物を追っている楽しさだ。自分の中に蓄積されていく悪魔たちの滴が、私らしい価値を育て、そして表現へと姿を変えてゆく。
                               

2012年12月23日日曜日

王道を超える天才

全日本のフィギュアスケート、また凄いものを見せてもらった。高橋大輔の滑りは神がかり的だったなぁ・・・今季のフリーのプログラムはあまりに重々しい音楽でなんかしっくりその世界に入れなかったのだけども、今日の高橋君は曲の持つドラマ性の全てを昇華して 見ている者に訴える力があった。羽生君もいいんだけど、高橋大輔は別格すぎる。
前のシーズンのブルースでのプログラムは何度見ても感動した。全ての仕草と仕草をつなぐ空気にまでキラキラ光る美の粉がまき散らされていた。脱力の美というものを 競技スケートというスポーツで初めて見た気がする。
今季の「道化師」は王道を行く感じで少し物足りなく感じていたのだけども、今日の演技は私の中の王道という概念を易々と超え、高橋大輔の世界に持って行かれた嬉しい驚きだった。
しかし、フィギュアスケートって不思議なスポーツだよね。花投げていいスポーツって他にあるかな。どうせ投げるなら、カッコよく花を投げたい。賽銭箱にお金入れるみたいに投げるのはどうかと。 
                    二人ともキャラが良すぎ。マンガみたい。
                 
 

2012年12月21日金曜日

今のところ 終わる気配はない

マヤでは2012年12月21日以降の暦がないことから、この日で地球は終わると言われて最近ちょっとした話題になっていた。ノストラダムスの大予言が流行った頃ほどの盛り上がりはないけれども、
終末論の期待感は不謹慎ながらいつの時代にも人の心を捉えるのかもしれない。これは個人的な終末=死の恐怖を、みんなが終わるなら仕方ないや・・という運命共同体的な安心感にすり替えているのだろうか。日頃の悩みも地球規模で考えると 確かにどうでもいいことだ。私たちの多くは確実に100歳くらいまでで死ぬし、有効活動年齢はおそらく77歳が限度じゃないかと思っている。そう考えたとき、今何をするべきか、真剣に考える年齢になっている。特に私の場合は金や銀や真珠・鉱石という地球の資源を使って製作しているのだから、まあいいか・・の気持ちで地球の鉱物を無駄遣いしてはとても罪深い気持ちになる。
 
原発で不安な時代だからか、未来からの予言的な話も聞く。日本の首都は岡山になると、未来からの使者は告げているそうだ。それはどうだか分からないけれども、私は実際UFOを見たので、異次元からの使者とか時空を超えた世界の存在は否定できない。だって、見てしまったんだもん、信じざるを得ない。
 
あと2時間ちょっとで地球が終わる気配はない。淡々とオーダー頂いたジュエリーを磨く。
フィギュアスケートで今日も高橋君は最高にカッコよかった。羽生君の成長を見るのも楽しいけれど、やっぱり高橋君の空気を掴む仕草に心がかき乱される。そんなことを楽しめる日常はどこまで続くのかな。できれば、最後の一呼吸まで。
 
                              

2012年12月20日木曜日

水鏡に映る秋の名残

この10年お世話になっている湖岸のプロムナード。水溜りにまだ色づいているトウカエデの樹が映っていました。この秋は展示会準備で忙しく、この道をランニングすることも少なく、秋を満喫できませんでした。遠くの比良山系は雪景色・・もうそろそろこの湖には我慢強い太公望と 飼い主とどこか雰囲気の似ているワンちゃんたち、丸く黒い瞳のユリカモメ、そしてランナーたちが主役になります。他の季節には テント張って本を読む人やフリスビーをする子供やカップルで一杯なのですが、クリスマスが近づくと静かな冬がやってきます。
 
                              

2012年12月19日水曜日

時をこえて

今年の大阪駅でのクリスマスイルミネーションは光とシンフォニーの饗宴らしい。一日に数回、音楽が流れクリスマスの電飾とともにこの季節を盛り上げる。昨夜21時はバッハの「G線上のアリア」だった。バッハの曲は、本当にシンプルで美しいと思う。この曲を作った時代は、ライフスタイルも思想も現代とはかけ離れているはずなのに、この曲を美しいと感じるのは昔も今も一緒で、人間って変わらないんだな・・と思う。あるピアニストのコンサートで色んな作曲家の曲を弾いていたのだけど、ベートーベンは民衆のために、シューベルトは自然のために、ショパンはピアノのために曲を捧げたんだな、と。バッハは?もちろん神と教会のために・・・かな。
そして、昨日は本屋さんで2冊の分厚い画集を買ってしまい、今日は肩こりがMAXです。
バッハと同じく、600年以上前に生まれた画家なのに全く古臭くないフィリッポ・リッピ 。
この愛らしさ・繊細な美しさに触れるたび、美には時を超える力があるのだと感じずにはいられません。
                                                          

12月の夜

大阪・中津のカフェ。貸切でクリスマスパーティーのもよう・・・みんなキラキラ光る三角帽子をつけて30人ほどの人が頭をユラユラさせてた。近くの公園から三角帽だけが動いているのが見え、こんなベタなクリスマスパーティーの光景になんだかしみじみしてしまった。クリスマスを祝える人も祝えなかった人も、一年が終わるんだね。

                                 
                                 

2012年12月16日日曜日

ダマスク織

ヴィスコンティーの映画を観ていると、好きな景色、室内装飾につい目を奪われ前に進まなくなる時がある。イノセントはダマスク織のカーテンの鮮烈な赤に、この映画の持つ毒を感じずにはいられない。展示会用にオークションで落としたカーテンもナポレオン三世時代の絹のダマスク織。花とフルーツバスケット柄が牧歌的で一目で落札を決意した。イノセントに出てくる貴族の館にも使われているこれらの織物、このカーテンは一体、どんな館のどの部屋を彩っていたのだろう・・・イノセントという映画は無垢であることの悲喜劇を描いている。人間の弱さを徹頭徹尾見せつける。シェークスピア的な悲喜劇といったらいいのか、悲劇であればあるほど滑稽でもある。その無垢は本物なのか、自己欺瞞のため手段なのか、51対49くらいの勝負を女性は生きているのに対して、主人公の男性はまるで赤子のようだ。ラストシーンで館から走り去る伯爵未亡人、彼のあまりの無垢馬鹿さに今まで対等に接していたことに対する間違いを悟って怖くなったに違いない。それでも心が動くことは全て無垢な心の仕業であり、どこかで容認している自分がいる。
                                

2012年12月13日木曜日

さよなら、先生

何かの本に書いてあった一節 「あれが最後の姿だったと気が付くのはお別れの後だ。」

絵画制作に拘りがあった私が、ジュエリーを本格的に学ぶため日本宝飾クラフト学院に籍を置いたのは40才をとうに過ぎてからだった。そこには社会人も自由に学べる専科コースにT先生という60才を少し出たハイジュエリーの指導もできるジュエラーがおられた。T先生は髭をたくわえた絵本の中に登場する「時計屋のおじさん」のような風貌、しかしその日本語の語尾には必ず「駄洒落」がつく典型的な「困ったオヤジ」でもあったけど、それは厳しい指導を駄洒落でまぶす・・という先生独特の技であったのかもしれない。

先生は専科の私にも「まあいいんだけどね」と前置きをしたあと「本当はここまで出来るんだよ」ともう一段高いレベルの存在をそれとなくチラつかせた。負けず嫌いの私の性格を読んだ先生の作戦にキッチリはまった私は、時には同じ課題を何個も作り続け「T先生ジャッジ」に通るまで自分の甘さを封印した。

T先生と私は、年は離れていても何かと共通点があった。18才のころ怪我をして椎間板ヘルニアで療養していたこと、写真家を目指していたけどもジュエリーに転向したこと、写真や映画の趣味、聞く音楽、好きな車・・・何よりも有難かったのは、アンティークジュエリーに詳しく、私が作りたいものをピンポイントで察知して実現可能な技法を提案してくれる頼もしい存在だったことだ。

様々なオーダーを受け、一つとして同じ物のない緊張感のある仕事をされてきた先生は、駄洒落とそして本当の洒落っ気を軽やかに身につけ、この世界を生きてこられたのだと思うと同時に、左手にザックリと刻まれた怪我の痕に、一言では言い尽くせないご苦労もあったのだと伺い知ることが出来た。奥様も同じジュエラーで、家族で古いフランス映画みたいにバスケットにワインとチーズとパンを詰め臙脂と黒のツートンカラーの愛車・シトローエン2VCでピクニックに行った話、古楽器を2人で習い演奏できること、でも今はそれぞれの親御さんの介護で離れて暮らしていることなど、駄洒落にまぶさずにはいられない人生の苦労も垣間見ることができた。

5月の2週目、ふとT先生の横顔が小さく見えた気がして「先生、少しお痩せになったんじゃないですか?」と聞くと「元気、元気」と笑いながら応えてくれたのが最後になった。それから療養に入った先生を待っていたけれども、10月に学校を正式に辞められ、そして26日に旅立たれた。

本当に大切な人とお別れした時、私は余り泣き続けたりできない。
大切な人とは、きっととても濃い充実した時間を過ごしたに違いなく、その中で学んだことは私の中で息づいている。
涙は溢れるけれども、決して下を向くことはない強さを持った感情は信愛といってもいい。
悲しみを乗り越えるほどの信愛の気持ちを与えてくれた人に、感謝の思いで胸が一杯になる。

人生のこの時期にT先生に出会えたことは 私にとって最大級の幸運でした。
ありがとうございました。
さよなら、先生。




                              

2012年12月12日水曜日

宴のあと

「アトリエ箱庭」さんでの展示会、盛況のうち無事終了いたしました。足を運んでくださった沢山の方々、有難うございました。ずっと応援をしていてくれた友人・家族はもちろん、新しい出会いやご縁のあった方々に深く感謝いたします。
また、ご注文下さった方々、これから丁寧に制作して発送いたします。今しばらくお待ちくださいませ。ありがとうございました。

普段、ジュエリーを身に着けないという方も、似合わないかも・・と尻込みされた方も、鏡で合わされた時のお顔の輝きが忘れられません。女性の気持ちを引き上げる 素晴らしいジュエリーの力と
それに携われる喜びを感じる瞬間でした。

                              

オーナーの幸田さんが打ち上げで用意してくださった手料理の一部。ブロッコリーとカリフラワーのハイブリッド種 ロマネスコ。赤いラディッシュを添えて「クリスマス」を演出してくださったのに私ったら「仏頭?」って・・・・ごみん・・・

大阪・箕面のお茶小屋「李舟」さん、ジュエリーデザイナー川口さん、もっと語り明かしたかったですね!幸田さんのお料理は、すべてに美味しくて丁度よく見た目も楽しい、料理はお人柄がでます・・・
そして夜も更けてゆき、箱庭ではお開き、さらに大阪ディープな夜は続くのでした。
 

  
                            

2012年12月10日月曜日

冬の朝



すっかり冬の匂いがする朝、6日目のキャンドルは溶けた雪のようでした。明日の夜でキャンドルも役目を終えます。毎朝「まんぷくベーカリー」でオリーブの三日月パンとミルククリーム入りのパンを買い、展示準備のあとの15分、この景色をみながらお昼をいただくのも最後から2番目の朝。
今日一日が充実した日でありますように、皆さんに楽しんで頂けるように、一人部屋で集中する時間は 清々しい習慣でした。
明日は 最終日。
素晴らしい一日でありますように。
                             

2012年12月8日土曜日

ノベルティー

 
展示会でお買い上げいただいた方に 記念の品を選んで頂いています。
選ぶお客様も楽しそうですが こちらも「なるほど!」と思うセレクトだったりで楽しませていただいています。ルネサンス絵画の一部をクローズアップしたこちら デスク脇にでも乗せてくださいね。
 
                            

2012年12月6日木曜日

明日から展示会後期

                     


   明日から再び展示会です。月曜日までの四日間、どのような出会いがあるのか楽しみです。
 
   最終日の10日は受注品以外のジュエリーは全額お支払であれば お持ち帰りいただくことが
   
   可能です。珊瑚と真珠のペンダントが対象です。カリフォルニアの手染めシルクリボンが付属
 
   します。
   シルクコードご希望の方は発注品のため 後日送らせていただきます。
   価格はダイヤモンドとサファイヤが入っているもの以外は38,000円になっております。
  
 
   この数日ですっかりクリスマス気分になってきました。早く降りる夜の帳はキャンドルを灯して
   あれこれ回想するのにふさわしいですね。
   
 
                                 

2012年12月5日水曜日

こんにちは 美少年


ヴィスコンティーの映画を初めてみたのは実は最近のこと。もちろん、存在は20年以上前の学生時代から知っていて 「観なきゃな~」と思いつつ避けて通ってきた。
「ベニスに死す」のデジタルリマスター版が出て話題になったとき この映画を観たとおぼしき人に聞いてみた。「ベニスに死すって どんな?」「う~~ん昔みたけど、おじさんが美少年見て ひたすらモジモジする映画かな」
私の学生時代のヴィスコンティーファンから熱く語られていた映画とはえらい違う印象。
 
 
大学生の時は、なぜか美少年・美少女が好き・・という人と縁があり、その美的審美眼の高さに畏れを抱いていた。その時は そのテの人に萎縮していると思っていてけれど、実は美少年そのものが畏れの原因だった。捉えどころのない存在感、決して手の届かない美の領域、この世界に足を踏み入れると 到底現実の男性とは恋ができないと私の中の雌が警鐘を鳴らしたに違いない。
 
「ベニスに死す」は素晴らしい映画だった。しかし 20代ではこの胸を射抜かれるような切なさは分からないとも感じた。今は美少年を美しい花を愛でるように楽しみ、砂時計のように減っていく人生の残り時間に初老の教授の気持ちを重ね合わせることができる。年齢を重ねる楽しみは、本物の芸術の前でこそ自由に羽ばたき、自分だけの匙加減で味わうことができるのかもしれない。こんにちは、美少年。
 
                           

2012年12月4日火曜日

幕間

 
展示会の前半が終了して幕間の時間。数か月ぶりに進行表を見ずに過ごす時間・・・
 
また 展示会が終了したらオーダー品を納品するために作業の日々ですが、つかの間のバカンスです。
この時にずっとやりたかったことが。
ヴィスコンティーのDVDを観ること!短い映画や邦画は息抜きにみていましたが、ガッツリどっぷり
浸るのは、心の余裕が必要です。どれから観ようかな。
 
 
                            

LADYの素性




カスタムオーダーのペンダントヘッド・・・こちらは 真珠をつけたりそのままバーを好みの長さに
カットしてペンダントに仕立てます。ズラリと居並ぶ淑女たち、ほんわりした帽子にサファイヤや
ダイアモンドをつけた娘も。
サンクトペテルブルグの祈祷書などを集めた美術館にある美しい本に描かれた女性。
作者もモデルも分からないけど 何百年も経って東洋でこうしてジュエリーのモチーフになるとは想像もしていなかったでしょうね。

2012年12月1日土曜日

金毛羊の伝説


          


BOCCA人気のペンダントモチーフがこちら 吊り下げられた羊。ブルックスブラザーズ
のマークでもお馴染みですが 古くからの伝説に基づいていて 繰り返し美術作品のモチーフ
になってきました。金色の羊を見つけた兄弟が追手をまく為に 森に羊を吊るして難を逃れます。
この羊は犠牲の象徴としてキリストと重ねられ、沢山の作品に登場してきました。

フランドル派の画家 ファン デル ワイデンの描く肖像画の中にもこの羊が描かれています。
「金毛羊騎士団」の会員の証にこのモチーフペンダントを身に着けています。

犠牲となった羊なので 後ろ脚が切り落とされています。大変小さいものですが、やはり
後ろ脚はカットしました。胸が痛みますが。
この羊、身に着けると難を逃してくれるでしょうかね。シルバーとK10YGをご用意しています。
18000円からです。

     


高麗橋にかかるパウダーイエローのイチョウの樹。夜桜みたいです。