2012年12月13日木曜日

さよなら、先生

何かの本に書いてあった一節 「あれが最後の姿だったと気が付くのはお別れの後だ。」

絵画制作に拘りがあった私が、ジュエリーを本格的に学ぶため日本宝飾クラフト学院に籍を置いたのは40才をとうに過ぎてからだった。そこには社会人も自由に学べる専科コースにT先生という60才を少し出たハイジュエリーの指導もできるジュエラーがおられた。T先生は髭をたくわえた絵本の中に登場する「時計屋のおじさん」のような風貌、しかしその日本語の語尾には必ず「駄洒落」がつく典型的な「困ったオヤジ」でもあったけど、それは厳しい指導を駄洒落でまぶす・・という先生独特の技であったのかもしれない。

先生は専科の私にも「まあいいんだけどね」と前置きをしたあと「本当はここまで出来るんだよ」ともう一段高いレベルの存在をそれとなくチラつかせた。負けず嫌いの私の性格を読んだ先生の作戦にキッチリはまった私は、時には同じ課題を何個も作り続け「T先生ジャッジ」に通るまで自分の甘さを封印した。

T先生と私は、年は離れていても何かと共通点があった。18才のころ怪我をして椎間板ヘルニアで療養していたこと、写真家を目指していたけどもジュエリーに転向したこと、写真や映画の趣味、聞く音楽、好きな車・・・何よりも有難かったのは、アンティークジュエリーに詳しく、私が作りたいものをピンポイントで察知して実現可能な技法を提案してくれる頼もしい存在だったことだ。

様々なオーダーを受け、一つとして同じ物のない緊張感のある仕事をされてきた先生は、駄洒落とそして本当の洒落っ気を軽やかに身につけ、この世界を生きてこられたのだと思うと同時に、左手にザックリと刻まれた怪我の痕に、一言では言い尽くせないご苦労もあったのだと伺い知ることが出来た。奥様も同じジュエラーで、家族で古いフランス映画みたいにバスケットにワインとチーズとパンを詰め臙脂と黒のツートンカラーの愛車・シトローエン2VCでピクニックに行った話、古楽器を2人で習い演奏できること、でも今はそれぞれの親御さんの介護で離れて暮らしていることなど、駄洒落にまぶさずにはいられない人生の苦労も垣間見ることができた。

5月の2週目、ふとT先生の横顔が小さく見えた気がして「先生、少しお痩せになったんじゃないですか?」と聞くと「元気、元気」と笑いながら応えてくれたのが最後になった。それから療養に入った先生を待っていたけれども、10月に学校を正式に辞められ、そして26日に旅立たれた。

本当に大切な人とお別れした時、私は余り泣き続けたりできない。
大切な人とは、きっととても濃い充実した時間を過ごしたに違いなく、その中で学んだことは私の中で息づいている。
涙は溢れるけれども、決して下を向くことはない強さを持った感情は信愛といってもいい。
悲しみを乗り越えるほどの信愛の気持ちを与えてくれた人に、感謝の思いで胸が一杯になる。

人生のこの時期にT先生に出会えたことは 私にとって最大級の幸運でした。
ありがとうございました。
さよなら、先生。




                              

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