2013年1月30日水曜日

Sweet Sweet My HomePage



 
ブログは更新しているものの、HPは止まっている。そもそも、ブログはHPの付属コンテンツとして作ったのに、どういう訳か。答えは簡単、HPをいじる能力が無いからである。
 
HPを作るにあたって いくつかの選択肢があった。外注・ブログ形式で作る・ビルダーソフトを買って自分で作るの3つ。外注は資金がいるのに加えて更新もお願いしなくてはいけない。この更新が、お金を払っているにも関わらず 小さい手直しとかは頼むのに気を遣うと友人たちは言う。ブログ形式は低コスト・簡単で一番強く勧められたがHPに対する憧れ捨てがたく、最終的にはソフトを買って自分で作ることになった。
 
と言えば聞こえが良いが、ソフトを買ったものの使えない人を何人も知っているので、ここは助っ人をお願いすることにした。
その大役を引き受けてくれたのが、友人T嬢。2人の子供がいる人妻だけど、なんとなく「お嬢さん」の匂いがある彼女は、某公立大学の数学科を出てSEをしていた才媛である。
彼女は初めて扱うソフトの不自由さを嘆きつつ、必ず「こうしたいんだけど」という私の希望を半日で叶えてくれる。今回、作品のカテゴリーを作りアップしていけるシステムを作ってくれた。あとは、ひとつひとつメモしたアップの仕方に私が慣れて使いこなしていくだけである。
私は、彼女が悩みつつパチパチとキーボードを叩くのを眺めたり、お昼ご飯に牡蠣入りのトマトパスタを作ったりするのみ。有難くも人任せな話である。
 
でも、結局は仕事って 適材適所を分担することで成り立つもの。
これから手伝ってくれた友人の恩を背負い、BOCCAらしいジュエリーを作るのが私に架せられた責任・・・ここで多少のプレッシャーを自分に与えるのも大事なのである。折角のmy homeをあれこれと充実させていくのは、私にしかできない仕事。
情に甘えたり、金銭的に解決したり、そして前に進む。有難いです。
上のボール状のものは、北浜のバールのカウンターで出待ちをしているパン。
イタリアで食べれているパンで、外の皮がホロホロしていてとても美味しい。
イタリア女性の陽に焼けた肩先みたいな大らかさ。
 
 
 
 
 


2013年1月28日月曜日

憧れの円筒分水

            
自分でもかなりマニアックな好みだと承知しているけど、この円筒分水は私にとって憧れのスターだ。
川の水を公平に分配するために大正時代に考案された土木工事の一つではあるけれど、なんて魅惑的、もう、ウットリで言葉にはできない。
円筒分水にも色々あって、浄水場みたいな佇まいのものから、自然の中に「生えた」と形容しても良いようなものまで、多種多様らしい。
私は田んぼの中でも住宅地の中でも、存在する場所はそれぞれに風情があると思うので楽しめるけど、願わくば水は透明度があってこんこんと湧いていて欲しい。
 
というのも、まだ実物は出会ったことがなく、今年は円筒分水に出会いたいと心に決めている。同好の士がマップを作ってくれていたり、集まりももたれている模様だけども「工場」「廃墟」に比べるとまだまだ存在感は薄い気がする。
水を好む人は、群れないイメージがあるからそれで良いのだけど。
水系では「ダム」のほうが、人気があるけども、この牧歌的な円筒分水の愛らしさをもう少し広めたいなぁ。
ダムも好きだけど、私は砂防ダムくらいのが・・小さい、いえ牧歌的な人だわ、ほんと。
 

 
 


2013年1月25日金曜日

水辺の風景 / 京都市・夷川発電所貯水池



 
何でもない風景が好き。
夜の児童公園の遊具、住宅地の用水路、湖に拡がる水面と鴨たち、千切れ雲いっぱいの空、田舎の畑の脇に植えられた燃え立つカンナ、あぜ道に生えているミカンなどの果樹と小さなベンチ、そして、あらゆる水辺の風景。
 
いつの頃からか、水のある景色にとても惹かれるようになった。
海・湖はもちろん、神社のお手水、プール、用水路のような川・・・
 
京都は鴨川がゆったりと流れていて、オアシスとなっているけれども、蹴上の人工用水や、その流れに位置する丸太町に近い夷川の貯水池は独特の雰囲気のある場所で胸騒ぎに近い感動がある。
夷川貯水池は平安神宮や美術館の裏手を行くと、忽然と姿を現す。
初めて見たときは、真夜中だったせいかキツネにつままれた感じだった。
月明かりの中でみた貯水池は、街中とは思えない水量と、明治時代の治水が一大事業だったことを偲ばせる立派なレンガ造りの建物を携えていて、圧倒的な不思議感だった。
 
この手合いの治水事業は明治の初めに活発に行われた。
山を越えて、滋賀県大津市の三井寺から疎水は流れてきていて、そちらも素晴らしいレンガ作りのトンネルなどが当時のままの姿で残っている。
 
自然そのままの水の姿も素晴らしいけれど、人が水を手にして、生活に役立てたり、親しんだり、水と人の手の温もりがある景色が愛おしい。
 
 
 


2013年1月23日水曜日

ビルの谷間の密かな訓練



                                           
 
多分、幼稚園男子、もしくは、25歳以上女子には堪えられないスポットかもしれないんじゃないかしらん。大阪・梅田の消防署。ご覧のとうりMBS毎日放送、梅田芸術劇場といった大阪のド街中にある梅田の消防署、この敷地内に訓練施設があって、日々消防士さん達が訓練されています。
模擬ビルあり、一軒家ありで、今日は初めて梯子車の訓練に遭遇!ズームで撮影したから臨場感に欠けるのが残念、天高くホッソーイ梯子が上っていって、その天辺まで上がっていくのを見てるだけでクラクラ。地味な日々の訓練のうえに安全を守る、本当に有難い、そして素敵~!やっぱり、人のために身体を張って生きる男性って アート系女子(?)にも何も口を挟めないくらいの説得力があるわ。ありがと~、気を付けてね~
 
難しいリングのオーダーを受けていて、ほぼメドがついたと思ったら、気になっていた部分がやはりダメでまったくの作り直し。三歩進んで三歩下がった。けど、失敗という経験値は三歩進む。裏カウントで大事な経験。すこし凹むけど、鍛練だよ鍛練、ファイヤーマンを見習おう・・・

2013年1月20日日曜日

石原 孟展 / 下御霊神社の可愛い子/ タイの屋台

底冷えの京都。見たい展覧会があり、完全防備で出発。まずは東山・ギャラリー16、京都市美術館での日展、そして、寺町丸太町・ギャラリー知での「石原孟(Isihara Tsutomu)展」
御所の蝉しぐれのシャワーを浴びつつ、偶然通りかかったギャラリー知で、石原さんのデッサンを見た夏から、気になっていた日本画家。厚手のケント紙がたわむほど描きこまれた鉛筆の素描に、作者の眼の素晴らしさ、気配を感じとり空気感、光を掴む作品に吸い寄せられた私。また、描かれるのが、田んぼと住宅地の隙間だったり、葦や草が茂る河原、鄙びた入り江、今回も高速道路のコンクリートの脚と住宅地の超絶に何気ない風景。なのにすごい。このモチーフを選ぶところが私のような「なんでもない風景好き」には堪えれられない。
今年の初夏に東京で開催される スペインの作家「アントニオ・ロペス」にも通ずる匂いがするこの石原さん、これからの活躍が楽しみ。(今春、東京藝大大学院博士課程終了)


こちら、エスニックな微笑みに思わず笑ってしまう、下御霊神社のこま犬さん。寺町丸太町の角を少し下がったところにあるこの神社、美味しい地下水が飲めて、今日もペットボトルに汲みに来ている人が。夏はキンキンに冷たく、冬はまろやかな温かさ。クセがなくとても美味しい。

「コンっていってごらん」「コン・・ポトッ」ってならないように金網?


ビニールの扉をくぐって入る 三条柳馬場上がる「三条パクチー」ハーブの唐揚げ、タイのきしめん、どちらもビールに合う合う!沢山歩いたし、お疲れ様~ってことで、コーヒーやめてビール。

2013年1月19日土曜日

スイートピーの香り

                    
 
 
今日は娘の19回目の誕生日。赤いチューリップとスイートピーを花束にしました。
聖子ちゃんの名曲「赤いスイートピー」でお馴染みだけど、赤い色のをを買ったのは初めて。
車の座席に花束を置いていたら、ふんわりと甘い香りが。
甘いだけじゃなく、もっと奥行のある 紅茶のような香り。
スイートピーにこんな香があるなんて気が付かなかったのはウカツなはなし。何だって匂いを嗅ぐ私が。
 
一番古い記憶の香りは 多分 オムツをしていた時分にポンポンと叩いてもらったシッカロールの香り。寒い冬、アラジンストーブから漏れる灯油の匂い、ピンクのプラスティックの湯たんぽのゴムの栓の匂い、湯上りのニベアクリーム、霜柱の氷と砂をじっと見つめていたら鼻の奥に僅かにツンとくる酸っぱい香り・・形のない匂いの記憶は、脳細胞の中でも特別な指定席が与えられているような気がします。明日は 遅ればせながらのクリスマスプレゼント、サンタマリアノヴェッラのコロン「キューバ」が届いたので受け取りに。


2013年1月17日木曜日

暖かな寂しさ、大島弓子

 
 ツイッターで、漫画家の大島弓子の話題になった。大島弓子さんはもう30年を超える仕事をされている漫画界のカリスマだけではなく、映画化されたりして、読み物としての世界観を確立されている天才作家である。
 
色々なタイプの作品があり、時代ごとの特徴はあるのだが、大島節の中期以降は勿論素晴らしいが、少女マンガのセオリーを残しつつ、革新的な視点のある中期の作品も大島弓子アーカイブとしてではなく、もっと語られて良いと思う。
「全て緑になる日まで」「F式蘭丸」「バナナブレッドのプティング」などなど、筆に脂がのった勢いのある作品揃いだ。
 
私は特に「さようなら女達」、この作品がお勧め。
漫画家を目指す高校生の女の子と、彼女をとりまく友人・家族・そして未知なる世界。
現在と垣間見える未来、過去、そして忘れてはいけないのが、大島作品の根底に流れる「彼岸」に対する感性。この独特の光度をもった死生観は大島弓子が特異な作家である証なのだと思う。
 
決して暗くも怖くもない、淡々と敷居を超えていく彼岸に対する感性は、多分今の都市生活では身近ではない、家での看取りや、村で行われていた葬儀をまだ知っている世代の作家だから表現し得たのではないだろうか。
この話では、直接的な死と過去に起こった死別の体験をベースにおきながら、未来に向かう創作活動と恋愛、許し許されること、親の愛情、青春期特有の中性的な恋愛感情・・・などが濃密に詰まっている。何度読んでも、必ず涙に濡れてしまうのだ。必死度の高い疾走感が、主人公の少女の走り去る後ろ姿に投影されるのが、漫画ならではの醍醐味。
 
このあと、「秋日子かくかたりき」「四月怪談」「金髪の草原」など、大島ワールド作品が並ぶのだがこの「さようなら女達」もぜひ読んで欲しい一冊である。


2013年1月15日火曜日

名シーン・・・①

 
 
忘れられないシーンがある映画は幸せだと思う。「勝手にしやがれ」のジーン・セバークとジャン・ポール・ベルモントがシャンゼリゼ大通りをあるくシーン、「ローマの休日」のスクーターに乗ったペプバーン、「タイタニック」の船の舳先の二人のシーン・・・ヒットした映画にはそれとわかる名シーンがつきもののように思う。でも、個人的に何度も見たい名シーンのある映画もたくさん存在する。
 
 
「マドモワゼル・24時間の恋人」は地味ながら味わい深い映画の一つとしてお勧めしたい。
テーマとしては、「タイタニック」と同じく、一つの貴重な出会いがその人の人生を変える、といいうものだが、ネタバレしては面白くないので、詳細は省く。
 
先に書いた「赤いアモーレ」と同じく、違う世界の二人が出会う話。しかし、こちらの方が現実的な分、切なさは半端ではない。
世界が違う二人・・・この二人が惹かれあうのには、それぞれが、実際の自分の世界の周波数に合わせた受信機以外にもう一つの別の受信機を持っていて、それがお互い波長が合ってしまった場合に起こりうる現象かもしれない。別の受信機を持っているのは、願望によるものかも知れないし、幼いころの経験かもしれないし、血族に流れる何かかも知れない。
 
それはさておき、この映画で私が何度見ても 幸せな気持ちになるシーンがある。
主人公のサンドリーヌ・ボネールがジャック・ガンブランの運転するバイクに乗って夜の工場地帯の何でもない道を、地元の少年たちと一緒に走るシーンだ。片手にはガンブランに持ってきたサンドウィッチの皿を持って。30代後半の有能な製薬会社の営業ウーマンで人妻の女性とイタリア系移民の即興劇の俳優が、10代の少年少女のように風をきって走る、それはそれは素敵なシーンなのだ。何者でもない自分を分かち合う二人、こんな関係をこれからどれだけ持てるだろうか、と自問したくなるそんな場面なのだ。
私の中では間違いなくベスト10に入る名シーン。

2013年1月14日月曜日

冬の散歩道



              
   
 
大きな槇の樹も葉を落とすこの季節、夕暮れのシルエットが美しい。寒い冬の夕暮れ、いつものプロムナードは静かに夜を待っています。昨日、今日は霧がでて、ガラスの粉のような星は見えないけれど、釣り人や恋人たちは静かな湖面を見つめていました。


2013年1月13日日曜日

時間軸に並ぶ言葉たち



                      
 
                  
最近、twitterを始めた。私にとってのtwitterの印象はすこぶる不可解・・というもので、始めるまでには時間がかかった。facebookの方が向いているかな、と思いつつ、HPでブログも書いてそのうえFBを始めたら、時間がいくらあっても足りない。
 
twitterは簡単な文章しか綴れないのに何が面白いんだろう?と思っていたが、この「短さ」が色んな景色を見せてくれることを知った。
 
タイムラインを見返すと、今の私の興味が丸出し。
フィレンツェ市民のbot「妻を殺害するために8人分の砒素を買った男の話」の後にたまたま近所で殺人事件があった人のツイートがあり、レシピあり詩あり・・・これはタイムライン自体が個性があって魅力的。
1960年代のアメリカン・ポップアートに、日常生活のゴミを堆積させた作品があったが、その感覚に近いな。
あの頃のアーティストは、どう感じているのだろう・・・
 

2013年1月10日木曜日

懐かしさというもの。



               
 
  
 
   去年みたDVDで強烈に印象に残っているのが 「赤いアモーレ」という映画だ。
  ペネロペ・クルスが演じる貧困階層の女性とエリート医師が偶然出会い、本能的に惹かれあい
  時を分かち合う。二人には共通するバックボーンも未来への展望もなく、ただ惹かれあいお互
  い離れがたくなっていく。男性の方は、二重生活になり、分裂していくのだが、運命に導かれる
  結末で、彼は救われる。
 
 
 
  
  自分とは違う世界の異性に強く惹かれるという話は、繰り返し映画や文芸の主題になっている
  のだが、それは多くの人が共感できるから、作品として残るのだろう。
  大人の恋愛には、現在の環境と積み上げられてた価値観があり、二人だけで完結もできなけ
  れば、未来を二人で作り上げるのも容易ではない。
 
 
  惹かれあうという気持ちは、不思議だと思う。
  沢山の言葉や知識を身につけ、趣味や嗜好、仕事や家庭、そんなものを積み上げてきた大人
  をあっさり裏切る、ただその人が愛しいと思う気持ち。
  それが、同性ならば「ソウルメイト」という言葉で表わされるのだろうか。
 
  魂の部分でつながる、あるいは、前世で縁があった・・そのような感情は、出会った瞬間、
  ある「懐かしさ」と共にやってくる。
  眼差し、声、そして匂い。
  いくら話しても話し足りない、いつまでもどこまでも一緒に居たいという強い気持ちに、良いも悪
  いもない。理性を超えた何かが、ただ心を動かすだけだ。
 
  恋も美的感動も、突き詰めれば「懐かしさ」なのではないか・・と感じている。
  では、その懐かしさは、何からやってくるのか、何に対して懐かしいと感じるのか、
  そこのところの神秘を 時々考えたいと思う。

2013年1月9日水曜日

廻り道しながら

画像がアップロード出来ずションボリしていたところ、HPをサポートしてくれているT嬢がヘルプして下さった。なぜかPCでマイピクチャーからアップロード出来なくなり、文章のみでブログを書くのにストレスを感じていたから、晴れ晴れした気持ち。
 
しかし、携帯からの画像はすぐにアップできるものの、普通のデジカメからは かなりの回り道をすることになる。
携帯も最近やっとスマホにして、いろんな加工アプリも入れたから問題はないんだけど、デジイチのほうが、気持ちを汲み取ってくれる様な気がする。
対象物にぐっと寄る感じや、身体を使って呼吸をコントロールしてシャッターを切る瞬間の手ごたえは スマホとはかなり違う。
 
自分に合った道具は画像でも絵でも彫金でも大事ってことかな。
重くても、デジイチはなんか自由。
 
 

2013年1月5日土曜日

プリンセス×プリンセス

彼女たちが現役だったころ、別にファンだったわけではなく、数ある人気J-POPグループの一つで、何曲かの歌を知っていたに過ぎない存在だったので、再結成と聞いても大した感慨はなかった。ほっぺたがプニプニの奥居香は少しだけホッソリした頬になり、他のメンバーは皆、それぞれに一般人になり、年齢を重ねたんだな、という程度の気持ちで見ていた。
 
何かのドキュメンタリー番組で再結成までの軌跡をやっていたのだけど、毎週数回、子供が学校から帰るまでの時間集まり、練習を重ねたのだそうだ。
 
久しぶりに聞く「ダイアモンド」はとてもしんどかった。
ブランクというものの大きさ、オーラの鮮度というものについて考えさせられる、そんな演奏だったのだ。
 
そもそも事の発端は東北の震災。
あれを体験して、自分たちに出来る励ましを・・・と考え、一年の練習を経て表舞台に上がってきた。別にそれはそれで良いことだと思うし、多くのプリプリのファンはきっととても勇気づけられたと思う。しかし、ファンでもない人間には「キツイなぁ~」という感想しか持てなかったのだ。
 
 
しかし12月に入ってからのプリプリは、完全に勘を取り戻した。奥居香の目線も、ちゃんとパフォーマーのそれだったし、一歩下がっていたようなメンバーが皆、ぐっと輪郭がしまって輝いていた。
少し声のトーンは下がったけれども(女性は加齢により声のトーンが下がり、男性は上がる)
歌の歌詞が、若いころのプリプリには出せなかった現実味と切実感があって、思わず涙ぐんでしまったのだ。
震災から復興するというメッセージと、ブランクを乗り越え昔よりも良いパフォーマンスを実現するというプリプリの姿に感動したのだ。
 
紅白で再結成にも別れを告げた彼女たち。ダイアモンドは日常にあるという、青い鳥のようなメッセージを残して去ったけれども、音楽シーンのトップで仕事をしてきた彼女たちは「期間限定」という枠を外して仕事をするには人生の優先順位が許さない事情があるのだと思う。残念だけれども、仕方ない。
2012年版の「ダイアモンド」を聞かせてくれてありがとう・・と言うほかない。
 
それにしても、だ。気になるのがそのテの音楽番組に、いつも飄々と出てくる森高千里。
復活も期間限定もなく、上手くも下手でもない歌をヒラリと歌って去っていく。
このしぶとさが、私にはツボだ。
メンタリティーの強さに恐れ入る森高千里、最強だな。

2013年1月4日金曜日

精霊と悪霊と。

昨日は下鴨神社に初詣。糺の森という神社の参道には小川が流れ、それは清く美しい風景・・と本来なら画像をアップしてお見せしたいところだけど、今朝からブロガーの画像がアップロードできない。こちらの問題かブロガーの問題かが分からないけども、復旧まで時間がかかるかも。

私は神社ファンである。
街中にひょいと現れる小さい鳥居も、田んぼの中にこんもりまあるく苔のように存在する鎮守の森も、堂々とした大御所の神社も、すべて 風情があり惹かれている。
神社を守る 狛犬さん、キツネさん・・・これがまた滅法かわいい・・・
カメラを向けるのに少しためらいはあるのだが、今年もいろんな神社に触れ、紹介できたらいいな。

そんなことを考えながら、JR京都伊勢丹の長いエスカレーターに乗っていると、神聖な神社というテーマとは真逆のテーマが頭をよぎる。
「悪徳について。」
悪というものの魅力について。なぜ、悪いと知りつつその魔力には絶大なる力があり抵抗できないのか。
神社と悪。私のテーマはそこらへんにもあるようだ。

とりあえず、10階までエスカレーターで上がり、「北海道物産フェア」まで辿り着いた。
ここでは、私にとって魔の食材が待ち構えている。
ロイスのシャンパンチョコレート・ホワイトチョコレート、六花亭のバターレーズンサンドetc,etc
正月で疲れた胃袋をいたわる暇もなく、拡がった胃袋に直撃だね。ううう・・・

                            

2013年1月3日木曜日

新しい春を迎えて。

                            
         

       
 
新春を迎えました。今年もどうぞ 宜しくお願い申し上げます。
お正月の楽しみは秘蔵の(?)古伊万里の器を使うこと。毎日 使っている染めの古伊万里はあるけども 錦手はお祝い事にふさわしいので 一年に数回の登場となります。
 
 
10年以上まえ、近所の骨董屋さんに通い、いろいろ教えて頂いた時期がありました。
器の音、時代特有の柄、用途・・それは奥深い世界で面白く、どんどんハマっていきました。
当時、タコ唐草やベロ藍といわれる雑器を日常使いするのが流行っていたけども、私は元禄の錦手の 職人の筆遣いや呼吸が伝わるような線と、儚く溶け込みそうな藍と、物静かな金彩に惹かれ、折に触れ今も集めています。 その中で、たっぷりした大きさの 松が描かれた蓋ものの器が、正月早々トム猫に襲撃され割れてしまいました・・・!蓋の器をいくつか涼しい部屋のテーブルに置いていたのですが、さすがはトム、中にゴマメが入っている器を見定めて、テーブルから落とした模様。悔しいから 金継ぎしよう、と置いてありますが、トホホです。
 
 
その骨董屋さんは 当時50代の女性でしたが、今は京都四条の骨董街に店を構えておられます。
1歳くらいだった幼い息子を連れ、足しげく通う私に何か気迫を感じたのでしょうか、その人が時々「あなたは 将来、自分で何かする人だから」と言ってくださった言葉が、ずっと心に残っています。人との出会いは面白いです。今年も よい出会いがありますように・・・