2015年5月9日土曜日

眠れぬ幼い日の夜を。 "Planet"

2015年の冬は長かったような気がする。
年明けからしばらくしてからの、明け方にもたらされる悲しく憤りを禁じ得ないニュース、それらにまつわる重苦しい空気はじわじわと足音を消しながら近づいてきた不可解な物が姿を現したような気持ちだった。

皆、いろんな立場で生きている。
神を信じる人、無神論者、ベジタリアン、仕事上の地位や責任、地域での立場、日本人として、コスモポリタンとして、母として、娘として、男として、少年として、誰かに手を差し伸べる人、差し伸べて貰う人、伝統芸を受け継ぐ人、誰も見たことのない地平に踏み出す人、台所でスープを作る人、伸びてくる髪を切ったり染めたりする人、毎朝お地蔵さんの水を替える人・・・いろんな立場の複合体が一人の人間を作っている。

私達は複雑で流動的な立場を抱えながら生きている。
立場の数だけ視点があり、幸せの価値観もそれぞれだ。
当然、思想的対立や利権争いなどが絶えることはない。

でも、忘れてはいないだろうか。このことを突き詰めると恐怖してしまいつい目をそらしてしまう「人間って何?」という問いを。
せいぜい自分の前後世代のことしか見えていない毎日を過ごすことで
私たちは 解明されていない宇宙にある地球という星に住む人間という生物の一つにしか過ぎないということを忘れてはいないだろうか?
他の生物より知性がすぐれ、感情を持ち、それを共有するシステムはどんどん進化していく事の引換えに、種の遺伝子を脅かすような環境に自ら突き進んでいき、そしてその加速を止めることが出来ない私たち。例えば20年前なら日記か新聞の投書欄に投稿するくらいの個人的な考えもこうして発信していることのプラスとマイナス。

地球はいつか消滅する。
人間も他の生物がそうであったように滅亡する。
そのことは分かってはいるけれども、できることなら、次の世代に、そしてもっと先の世代に住みやすい星を残したい。
すこしでも長く。

人の生きる時間は、極小の点のようなスパンでしかなく、その中で遺伝子はか細く受け継がれてきている。短い人生のなかで、30年かかって何かを学び、次世代に伝える仕事を全力でできるのも30年前後・・・人の一生の短さに唖然とするのを実感するのと同時に、「人間って何?」という幼い時に考えては眠れなくなった夜をもう一度思い出す必要があるのではないかと、冬の夜空を見上げながら考えた。

先日、ある個展のオープニング・パーティーに誘っていただいた。
初めて出会う人も多く、海外の方もいらした。
長いテーブルを囲んで 食事とお酒を頂きながら見る人の笑顔がとても愛おしく
二度と同じメンバーで集う事はないであろうその夜は、地球とそこに生きる私たちの短い一生に似ていると思った。

私はジュエリーという人間にしか価値が見えないであろうものを作っている。
石や銀・金も地球の大切な資源を使っているので、いつも敬虔な思いを持ちながら。

宇宙の図鑑を抱えながら眠れぬ夜をすごした幼い日に導かれるように作ったシリーズが "Planet"
星の瞬きを思いながらホワイト・トパーズをスタッズのようにセットしたり、惑星のガスの模様に似たスペクトロライトやゴールド・ルチルクオーツ、静かなグレイ・ムーンストーン、別名ウォーターサファイアとも呼ばれるアイオライトを使って小さな宇宙を広げました。ali (神戸市/元町)でお取扱いして頂いています。