2016年12月21日水曜日

ムーン・リバー

12月21日・・・もうすぐクリスマスのこの時期、いつも心に流れる曲は 「ムーン・リバー」

先日、彫金教室で「クリスマスが近づくと切ないよね」という話をしていて「???」のリアクションをとられてしまったのだけど、皆さんはどうなのかしら。私はみんな切ないもんだと思っていたけど、違うのかなぁ。

「いやぁ、この年になるとあれやこれやとクリスマスにまつわる思い出が色々あってね・・」と言ったけど、今の風潮としては家族や友達でケーキと鍋をつつくささやかなイベントとしてのクリスマスで
あんまり思い入れがないみたい。

クリスマスは恋人と過ごす日、なんていう強迫観念がなくなって良かった・・と思う一方、やはりクリスマスキャロルと一緒に思い出す記憶のあれこれは貴重だったな、とも思う。

「ムーン・リバー」は私が19才の大学一年の冬、Tiffany&C.oでアルバイトをしていた時、一日中流れていたいた曲。クリスマスの季節、オープンハートとビーンズのペンダントはコマドリの卵色の箱と真っ白なリボンに括られて、どんどん恋人たちの元に巣立っていった。
私は半年にわたる恋の駆け引きに疲れ、恋愛から離脱して二か月あまり、10代最後のクリスマスも一人で過ごそうとしていた。
新しい恋の予感はあったものの、劇的な進展もなく毎日アルバイトで恋人たちのお手伝いをしていたのだ。

「ムーン・リバー」は映画「ティファニーで朝食を」の曲で、オードリー・ヘプバーンがシックなドレス姿で早朝のティファニー本店のウインドウを眺めながらパンを齧るオープニングが有名だ。
トルーマン・カポーティーの原作と映画ではエンディングが180度違うけど、私は両方好き。
美しいオードリー、シックなNY、真実の愛に目覚めるストーリー・・・憧れ一杯の映画。

ある日、いつものようにショーケースの上でジュエリーを包んでいたら、目の前に気になっていた彼が現れた。
京都に住む彼は大阪でアルバイトをしていた筈なのに、夕方にわざわざ途中下車して会いに来てくれたのだった。本当につまらない事を覚えているのだけど、甘茶色のざっくりとした草木染のセーターにマフラーを巻いただけの軽装で12月の街を歩く彼は、自分の気に入った品が見つかるまで絶対に妥協をしない人だったからお眼鏡にかなうコートが現れるまで寒さに耐える・・というそんな人だったのだ。鞄はアタッシュケースのようなアルミ製、そんな姿をこの曲と一緒にずっと思い出すなんて、つくづくBGMは罪なものだと思う。
男性から積極的なアプローチを受けたことがなかった私はかなり動転した。
でも、これから何かが始まる・・・という未来が明るく開ける予感が、クリスマス前の冬の匂いと彼のセーターの色味とムーン・リバーが三位一体となって記憶に刻み込まれた。

それから、出会いや別れがあり、クリスマスをすごした人との記憶はそれぞれあるけれど、やはりムーン・リバーを背負った彼の記憶は鮮明だ。

クリスマスが似合う空間にいた人と過ごしたイブも思い出深い。クリスマスプレゼントに図書館の香りがするキャンドルを用意して、アーケードを大きなカットケーキを下げて歩いた時も、この曲が流れていた。「あ、ムーン・リバー」と思わず呟いたことを覚えている。

クリスマスが切ないのは、もう二度と会うことのない人との暖かい記憶が蘇るから。
確かに生きた・・そんな実感。そしてその人たちは今、どこでどんなクリスマスをすごしているのだろうかと、遠く思いを馳せるからかもしれない。

このアルバムのムーン・リバーはオードリーの声にも似て好き。
the innocence mission/now the day is over



2016年12月11日日曜日

一緒にさよなら。

誰にでも忘れられない店があると思う。
その店に足を踏み入れた時、新鮮なときめきや未知の扉を開けた時のドキドキ感と同時に、自分にしっくりくる靴を見つけた時のような安堵感を覚えたら、そのお店は特別な存在になる。
それは、気になる異性と出会い恋に落ちるときとも似ている。

大阪の御堂筋にそびえる、かつては石作りの重厚な小学校跡地にできたそのビルに
私の好きが詰まったセレクトショップがある。
内装は目黒のアンティーク家具を扱う店が施工しており、什器、建具も全てヨーロッパの本物。天井も高くたっぷりした贅沢な空間に、洋服、靴、鞄、帽子、アクセサリー、キャンドル、石鹸、紅茶、アンティーク小物、インテリア小物などが、美しく、スッキリと配置されている。
窓からは御堂筋の銀杏並木が見え、古さと新しさが共存して溶け合う、居心地の良い店。

私が初めてその店を訪れたのは8年前。
フィレンツェの匂いがある内装に惹かれて、ドキドキしながら足を踏み入れた。

その店に出会う前、私は、好きな服を求めて色んなお店をクルクル回っていた。
「使える」か「使えない」か。それが一番の基準だった。
ジュエリーに映える服、それが第一条件。
もっと言えば、長い主婦生活と別れを告げて神戸の街に関わり出した時に、
「恥ずかしくない服」を求めた。
でも、どちらかと言えば定番的でこなれた印象の少ない恰好だったと思う。
本物のファッションフリークが身近にいて、一見、何でもないトレーナーにも
素材やカットに秘密があり、それをさり気なく着こなすことがカッコいいということを
知ってからも、なかなか自分に落とし込めるファッションを扱う店に出会えずにいた。

初めてそのお店で購入したのは黒い雨傘。
キリリと細身、持ち手も細い木製、真鍮の小さな環で止めるアンブレラ。
服を買うには敷居が高くて、ためらっていたけれども、傘ならば手にすることができた。
完璧な美しさの傘。

一度、購入すると度胸がついて、凝った布やボタンやポケットの仕様に19世紀の香りがする服や、変わったカットだけれども着てみると「なるほど!」と思う服などをどんどん試していった。
そのお店のスタッフさんは、皆さん素晴らしく、私が望むものや似合う物を提案して下さるのだ。
私は夜に訪れることが多かったけれど、広い店内をあれこれ試着させてもらいながら過ごしていると2時間くらいすぐたってしまう。
試着しながら、新しい自分の可能性や、ファッションから学ぶことが多く、お客さんでありながら、学生のようでもあった。

「好きな世界があること」「本当に心から好きな服を選ぶ贅沢」をその店で知って以来、
私のワードローブはだんだんと統一感が出てきて、お洒落がその人を一歩前に進める力があることを知った。
私が愛用しているエッジの効いたパンツ専門ブランド"TUKI"さんのアイテムを最初に勧めてくれたのはそのお店のスタッフUさん。
今まで着たことのないTUKIパンツは、オンナ度の低い「意思なくしては着こなせない」シルエット。
それを「Iさんはこれが似合うと思うんですよね」と言われて恐る恐る着て以来、何本も持っていて、そのパンツは私の一番の味方になった。

だんだん、私の体型が変化して似合う服が変わっても、そのお店で買った服はずっと生きている。
私の核心をついた「好き」を選んでいるからだと思う。
どの服も、買った時のことを思い出せる。
初めての個展を成功させるために選んだクラッシックなフィレンツェの織物のようなブラウス。
絶妙な薄さのガウンコート。
母の入院で病院通いが続き、疲れた時に選んだシルクに深紅の刺繍がしてあるスカーフに元気づけられた。
鮮やかなビリジャンのループが一杯ついたカシミアのスヌードは、ベージュにするか迷ったけれども、ビリジャンという攻めの選択に背中を押していただいた。

ひとつ一つに、こんなに思い出がある服選びをさせて頂いたこのお店が、一月の末に幕を閉じる。
この寂しさは、それこそ恋人と別れるときの切なさと同じだ。
恋人は、どこかで生きていてくれるだろうけれども、二人で作る時間は二度とない。
このお店で過ごしたようなファッションを楽しむ幸せな時間はもう二度と味わえないように思う。
そして、何もかもが新鮮で生まれ変わったように走り続けた第二の青春とも言うべき自分のひとつの時代も、幕を下ろすのだ。