2017年12月30日土曜日

2017年の幕引きによせて。そして1月の彫金教室のお知らせ。

去年に引き続き、一年は翼が生えたかのように飛び去ろうとしています。
アトリエに籠る日々が多い出不精な私は、今年は映画館に通うことで少しは
外の空気を吸った一年でした。
京都シネマというミニシアターが3つある映画館が居心地よく、春から心して通うようになった今年、映画を通じて新しい世界や価値観に触れたり、街に出かけた勢いでギャラリーや買い物にでかけたりすることで、リフレッシュしたり、良いものと出会ったりと
上手に息抜きをする術を手に入れた気がします。

映画に関しては、イタリア映画「神様の思し召し」が心に残りました。
凄腕で自信家の外科医と元不良の牧師が織りなすドラマですが、
街外れの丘で木から落ちるリンゴをみながら「生きているのではなく生かされているのだ」という牧師の言葉に心が救われたのは主人公の外科医だけでなく私も一緒でした。
一生懸命生きなくちゃ、頑張って前を向かなきゃ、と思えば思うほど苦しくなる時があります。自分の力ではどうにもならないこと、悩んでも仕方ないことでも、クヨクヨしたり
投げやりになったり。生きなくちゃ・・・と思うのは大切だけど、それ以上に自分は生かされているのだ、という感覚に力が抜けて楽になりました。
映画の外科医と同じく、私も自分の力を過信してしまう傾向があり、人になかなか任せられない部分があったり。それは自分で仕掛けた罠に自分で嵌っている状態。
その罠に気づかせてくれたこの映画は笑いながらジーンとくる偉大な作品でした。

「ジェック ドゥミの少年期」も素晴らしかった・・・!
病により死期が近づいている映画監督ドゥミの映画人生を妻の映画監督ウ"ァルダが撮った作品。「ロシュフォールの恋人たち」「シェルブールの雨傘」など娯楽性豊かでしかもどこか刹那的なドゥミ作品の謎が明かされます。フランス西海岸のナントという町で育った彼は、公園の小屋で演じられる人形劇に夢中になって、自分でも人形や小さな舞台を作って演じることから始まり、コマ撮りのミニフィルムを作る創造性に溢れた少年時代を過ごします。しかし戦争が始まり疎開したり爆撃を受けたり生きるだけで精一杯の思春期、戦争が終わると大人になることを求められ職業訓練校に通いながらも屋根裏部屋で映画を作り続ける日々。そこには父親との葛藤、小さな町から巣立てない苛立ちや絶望があり、
青年期の苦悩に満ちた生活が綴られていきます。そしてそこに訪れた小さなチャンス・・・いつも母親が彼の才能を信じてそっと後押しをする姿にも胸が熱くなります。

これは制作系を志した人なら思い当たる経験が沢山つまった映画ではないでしょうか。
子供時代は思う存分クリエイトして、またそれが大人を含めた周りの人を喜ばせたり驚かせたりする・・・それがだんだん大人になるにつれ生活の糧になるかどうか、という物差しで測られてくる。美大生の頃は徹夜で制作したら「熱心な学生」と言われるのに、仕事を他に持つと徹夜で制作していることは隠さなくてはならない・・
ドゥミは親や世間から評価されず、明るい少年が陰鬱な青年に変わっていくけれど、
映画に対する愛と情熱は失わなかった。
自分だけが知っている自分の世界、可能性。それはだれにも支配されたくはない。
才能の世界では、究極のところは他者との比較ではなくて絶対評価。だからいつも孤独と不安と自由がある。運と才能があれば世間に認められて、仕事となって続けていけるけれども、生きていく以上、何らかの方法で凌いで続けていくしかない。
色鮮やかな夢のようなドゥミの映画は砂糖菓子のようにホロホロと脆い多幸感に包まれている。この楽しすぎて哀しくなる彼の世界観がこの作品を観て初めて腑に落ちた、そんな映画でした。

2018年はどんな映画に出会えるでしょうか。
映画館という特別な場所で過ごす時間を大切にしたいと思います。

さて、2018年の彫金教室ですが、1月は第三週の20日スタートとなります。
今年もみなさんとご一緒に作る喜びを味わえる、そんな教室にしたいと思っております。
彫金にご興味のある方は見学もできますので、ぜひお立ち寄りください。