2012年12月29日土曜日

 
 
最近よく感じること。「あの時 上手くいってなくて良かった」
どんなに望んでも頑張っても タイミングが悪かったり、何かがチグハグで上手くいかないときがある。その時は悔しい思いはしても、時間がたつとそれは当然の流れだと納得できることばかりだ。
 
思慮深い人は、失敗の前に自分が成すべきこと、その力量をちゃんと推し量り、準備をして行動にうつすものだが、私のように衝動的な人間は、失敗という答えを目の当たりにして初めて自分の器の大きさや目標設定の無理さを知ることになる。でもそれもこれも、自分の力を超えた流れの中で必要に迫られた失敗だと考えるようになった。
 
運命的に出会う事柄についても、一つの事象にはずっと過去からの導火線があり、そこにあるものが 誠実でも不実でも、成功でも失敗でも、狡猾でも正義でも、すべてはたわわに実る果実だと考えている。一つの揺るぎない時間の流れの中で 決して切り離すことのできない様々な出来事が絡み合っている。時間は残酷でそして優しい。時々、胸が苦しくなるほどの後悔や悲しみが襲ってきても、それに至る道のりには、全ての手順が踏まれていて決して一つだけを消し去ることは出来ないのだ。
 
「やがて すべては一つの円の中に」この秋に亡くなった画家 宇佐美圭司氏の作品にこんなタイトルのものがある。輪廻転生や生命論を主題にしているのだけども、時々この題名が頭の中をよぎる。全ては繋がりあい、一つの環になっている。
 
できることは、失敗のカードを引かないことではなく、失敗のカードに裏書された必然性について 目を凝らすこと。
そして、しばらくは 時が過ぎるのを待つこと。
悲しみは いつか形を変えていく。
その時間を真剣に生きた証として、新しい扉の鍵となって再び現われるのだ。
 
                              
                               

                              

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