2014年11月21日金曜日

古いものたちと私② 愚者のカード

個展の打ち上げに、京都・四条の「カフェ・オパール」さんに連れて行って下さったのは、幻想的な美しき世界を構築する版画家のY嬢であった。
そこは、細い鉄の扉を押して路地を入る京都の町屋の構造をそのまま残したお店で、何風ともひとくくりでは言い表せないある気配が漂っていた。
天井には古い大きな梁が見え、吹き抜けに続くミントグリーンの壁が香港映画「花様年華」を思い起こさせる空間に私達は収まっていた。
このカフェでは中世から続くマルセイユ・タロット・リーディングをしているらしく、それが素晴らしい読みなのだとY嬢からお聞きして、個展が終了したこの機会に見て頂くことにした。

そのリーディングは的確で、そして愛情に溢れ、しかも毅然としたものだった。
私の本性は「数を持たない愚者」のカードだった。
襟に沢山の鈴をつけ、杖を持ち、犬にズボンを噛まれ、穴だらけの恰好の愚者。
しかし、悲惨な雰囲気は微塵もなく、鼻歌を歌っているかのような実に楽しげな表情だ。
「愚者の連れている犬は霊感を表します。この霊感を連れて怖がらず、どこまでも進んで行くのが愚者なんです。」

私の敬愛する洋画家の先生がいつも仰っていた言葉を瞬間思いだした。
「モノを作る人間はアホですわ。アホでなけりゃ、こんなどんどん溜まっていくのに絵を描き続けることはでけしません。」
その先生は祖父は日本画の大家で、フレッド・アステアに似たお洒落な先生であられたのだが、他のいくらでも成功する道があったにも関わらず画家という道を全うされた中で「アホやなぁ・・」と感じながら情熱的に画業に勤しまれたに違いない。先生は去年、この世から旅立たれたのだが、その美しく洒脱な絵と人柄を想う時、暖かな陽射しの中で眩しそうに遠くを見ていた、ひとところに収まらない風のような雰囲気を瞬間、身近に感じるのだ。

後先を考えたり、経済効率を優先すると創作活動は怖くてできたもんじゃない。
このカードに描かれる霊感と情熱と鼻歌をもって歩む愚者は、私にとって憧れでもあり、先生でもあった。
そして何よりも BOCCAのアイコンである野原に寝そべる若者にも酷似していた。

霊感を持つ愚者・・・これが私の古いものたちとの関わりにも大切なキーワードのように思う。










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