2017年5月24日水曜日

東京散歩

私の自然好きは、東京の公園や神社が原体験になっている。
人が街を作り、その中の公園はその自然によって人を助けたり、または助けられたりしながら作る、ユートピアのようなもの。
それは本物の厳しさを内包した自然ではない。
あくまでも優しく、穏やかな風景だ。
しかし、原宿駅のホームに立つと、明治神宮の深い森から帯の様に冷たい風が流れ込み
鳥たちのさえずりが無数に聞こえると、自然の持つ力の恐れのようなものを感じるのだ。

東京に行くとひたすら歩く。
今回も朝9時に東京駅に降り立ち、六本木の新美術館へ。
教会壁画並みのスケールで描かれたミュシャの「スラヴ叙事詩」を鑑賞→青山のギャラリーやお店を見て食事→西荻窪に移動して素敵なbottega(工房付き店舗)のporto ponponeさんへ。夕方、幼い頃に遊んだ善福寺公園へ。池を中心に子供たちが虫取り網を持って走り回り、ボルゾイやヒマラヤンといった珍しいワンちゃんを散歩させている人たちを見て、昔と変わらない杉並の豊かさを感じた。夕方から大学時代の友人と食事をしてゆっくりお話しをして赤坂のホテルに戻ったのは23時。
朝5時に起きて出かけたので、たっぷり18時間出歩いたことになる。

普段、制作していると極端に出不精になっているのにこの落差!
東京は一歩出ると、史跡や湧水や公園がたくさんの坂道の間にあって
歩いても歩いても飽きることがない。そして、次々に現れる景色は遊園地のようだ。
東京に住んでいたら、きっと健康的に痩せられるだろうな・・といつも思う。
関西は歴史がもっと古く、京都・奈良・滋賀には千年の時を超えたものに出会えるけれども、
それらが点在しているから散歩するには無理があったり飽きがくるのだ。

東京の公園は枝を余り伐採しない。
都会であるがゆえの自然志向なのだろう。
関西の公園は手入れが行き届いていたり、枝は強剪定だ。
唯一、京都御所に原生林的なエリアがあるが、主には芝生と玉砂利。
関西人は割と落ち葉に厳しいように感じる。
深い森のような公園の魅力を求めて、私は東京で自然を探す。
それがたとえ虚構の自然であっても、たくましく美しいのだ。

善福寺公園(杉並区)

氷川神社(赤坂)



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