2017年5月5日金曜日

適当ということ。

工芸をしていて、一番のキモは「適当」ということじゃないかと思う。
よく彫金の先生は「そこ、絶妙な火加減で」とか「絶妙な力加減で」とか仰っていたけど、「適当」と「絶妙」はほぼ同義語かも知れない。

適した量で当たる・・・テキトーというといい加減っぽいし、いい加減、というのも
良い加減なわけなのに、いつの間にか「ほどらい、アバウト」みたいに変換されているのは不思議である。

適した量を見極めるのは実に難しい。
欠けた器を簡単な金継ぎをするときも、パテを盛りすぎてはやすり掛けが大変だったり仕上がりにさり気なさがなくなったり・・で良いことが一つもない。
米粒の五分の一をどうするか見極めるのがキモだったりする。

彫金教室で生徒さんにワックスを切断してもらうのも同様に難しい。
実線の外側にカットする線を引くのだけど、慎重になりすぎて大きく切ったら
あとの仕事量が増えて変な失敗を引き起こす。
かといってキワキワだったらうっかり鋸歯が食い込んで小さな作品になってしまう。
その人の性格を読み取って、「線が見えるように」「線の上を」と指示を出すのだけど、
適当な指示かどうかが難しい。

ピッタリの量、ピッタリの指示、ピッタリな贈り物、ピッタリな服装、ピッタリなメールの長さ、ピッタリな説教、ピッタリな運動、ピッタリな睡眠、・・・・工芸でも日常でもいかにピッタリ適当な場面の多いことか・・と思うGWです。

                  





0 件のコメント:

コメントを投稿