2016年10月21日金曜日

手ざわりコレクション

北浜で開講している彫金教室で、「子供の時、どんな遊びをしてた?」という話になった。
お絵かきは?ドレスを描くのが好きだった、お姫様より動物だったかなぁ。リスやウサギ、、合体ロボをパースも正確に描いてた男の子いなかった?今、なにしてるんだろ?建築家とか?スポーツカーを描いている子もいたよね・・・など。私自身はヒヤシンスを描くのが好きだった。細かい星型の花を一つ一つ描いて。あと、迷路。どこまでも続く道をうねうね描く快感・・・
粘土は?
やっぱり動物。あと人形・・・
粘土細工と聞くとある風景に行き当たる。実は鮮明に覚えている自分の幼稚園時代は粘土細工に関係する。

千葉県・市川市から東京都・杉並区に越してきた私は卒園まであと半年という微妙な時期に転園をした。当然、幼馴染みもいない。
当時流行っていた仮面ライダーごっこの仲間に入れて貰ってもショッカーの役ばかりだし、だんだんと自分の世界に引きこもり粘土遊びに夢中になっていった。
最初から具体的なものを象る気がなかった。
私はその幼稚園で渡された、薄いベージュでホワッと軽い粘土の質感に夢中になったのである。

毎朝、薄いブルーのプラスチックの粘土箱から固まった粘土を取り出す。
体温が伝わりだんだんと柔らかくなる粘土に爪を立てて、じっくりと捏ねてゆく。
最初は指先で捏ねていても、柔らかくなっていくにしたがって掌全体で立ち上がって体重をかけて力を入れた。
そこで、パスタの湯で具合をチェックするように、細く一本の紐状の粘土を作る。
それをゆっくりと割って、切断部分に薄く糸が引くか、または二つの切断部分を突き合わせてて粘土が糸のようにホワホワとするかを確かめた。そして充分と判断したら、本番である。

長さにして30cm、太さ直径3.5cmくらいの棒を作る。
それを少し掌でおして平たくしたら、薄い粘土ベラで慎重に割いていく。
上手に二等分できたら、尖った竹串で骨を描いていく。
そう、私はウナギに見立てた粘土を毎朝さばいていたのだ。
TVか何かでみたのか、母が魚を出刃包丁で三枚におろすのを憧れをもってみていたのか。
とにかく、「魚をおろす」という行為が私にはとてつもなくカッコよく感じられたのだ。
それは、千葉の幼稚園で使っていた青緑で油分の多い粘土では得られない質感だった。
粘り気がありながらもエアリーである、そして何にでもイメージを投影できるベージュ。

「先生、それ、幼稚園の先生、心配しませんでしたか?」
生徒さんに言われるまでもなく、転園生であるだけでも気を使ってくださっていた先生は
とても心配だったであろう。

園庭でも、私はひたすら「触り心地の良い土」を探した。
まず、しゃがみ込み態勢を整えたら両手をコンパスのようにスライドさせて、小石がポロポロある
表層部の土を除く。
硬い土だけ、と思われる層まできたら本番である。極優しく、そっと掌で撫でると微量に細かい土
だけが吸い寄せられるように付着して、徐々に溜っていくのだ。
それを小さな台形の山にふっくらと積み上る。
そして、その軽やかで湿り気と乾燥具合が絶妙に合わさった美しい山にそっと指先をさしてみたり、掌で押さえでその感触に夢中になった。
ある日、ふと気配を感じて顔を上げるとそこに先生の顔があってビックリした。
「ミカちゃん、お友達いないの?」と聞かれ「ううん、一杯いるよ」と喘ぎながら答えたのを鮮明に覚えているのは、恥ずかしさからだったのか。

実際、友達はすぐに出来たけれども、でもそれとこれとは別物だった。
自分の中の五感を研ぎ澄ます歓びは、一緒に鬼ごっこをする楽しさとは全く別種のものだった。

今も私は、重さや手触りの良いものを収集する。
柔らかい石や、ザラッとした金属の塊、すべらかな小枝・・・
手が喜ぶそのような物を慈しむ気持ちは 年を重ねても変わらないのだ。

                  

                


                                         














0 件のコメント:

コメントを投稿