2013年2月22日金曜日

その本心がたとえ美しくても

 
 
自分の言葉を生の形で相手にぶつけなくなったのは いつの頃からだろう?
声のトーンを明るくしてみたり 笑い声を含ませたり。素が出やすい手紙やメールは真夜中には書かない、結論は曖昧にする、ほんの少しの含みや、相手に逃げ場を残しておく・・・これは 大人になったら身に付く知恵なのか、その知恵は相手を思う気持ちなのか自分を守る盾なのか、あるいは両方?
 
 今 話題のTVドラマ「最高の離婚」は久々にハマるドラマ。本心で思っている事と目の前に起こる対人関係をやりすごす術が微妙にずれていて、しかもひょんな事から本心が露呈してしまう。昨日は離婚した元夫の部屋を出る不器用な妻が 最後に苦手な掃除や手料理を心をこめて行い テーブルに花を飾り 置手紙を書く。その手紙には別れるに至るまでの気持ちや自分の性格の問題点、そして「いつもあなたのことを盗み見するのが好きだった」という同じ時を過ごした男女にしか分からない愛情一杯の眼差しが書き綴られていた。
しかし、別れの手紙は書き終わった瞬間破られ、スーパーのチラシの裏にマジックで「夕飯は冷蔵庫の中、元妻」という伝言にとって変わられた。
ここで、私は涙がツツツ~~。この折り合いのつけ方が まさに大人のやせ我慢。
10代の子だったら思いの丈をぶつけたりできるのに 自分という複雑な存在に気づいた大人にはやせ我慢をすることで相手を思いやったり自分を守ったりする。
その微妙な他者との距離感のなかで生きていく為に 本心は隠されるのだ。隠された本心がたとえ美しいものであっても。
明日 アマゾンから2冊の本が届く。平野啓一郎「私とは何か---個人から分人へ」
「空白を満たしなさい」この2冊の「分人」という概念は私も5年前から持っていてそれを平野啓一郎がスッキリと文章化してくれているらしい。有難く拝読したい。

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