2013年2月6日水曜日

同じ街の同じ道で




                              
高校生の時、NYに憧れていた。80年代初めのNYはニューペインティングの聖地、古典的なデッサンや色彩構成に疑問をもっていた生意気盛りの私にとってNYこそが自由でアートな街だと思っていた。
でも、周りを見渡せば 新興住宅地の家並み、ところどころに田んぼもあり、牛蛙の眠たげな「ごぉーーーっ ごぉーーーっ」という鳴き声の中で、NYに思いを馳せるのは余りにも無理があった。
当時の私たちは 深夜に放送されるMTVにくぎ付け。マドンナやマイケル・ジャクソン シンディー・ローパー デビッド・ボウイなどなどの華麗なる面々のミュージックビデオを録画も出来ないから リアルタイムで見入って次の日の学校で 興奮気味で話す毎日だったように思う。MTVにうつる 壁に描かれた落書きは、電信柱に「世界が平和でありますように」なんて書かれた町に住む高校生には 「自分はどうしてこんな所にいるんだろう」という不満をフツフツとたぎらす起爆剤になるに充分だった。
 
高2の夏休み、焼けつくような陽射しの中をカメラ片手に御堂筋を歩き回った。
御堂筋が私の中では一番NYに近い場所だったからだ。
東京育ちの私は 幼いころ親と一緒に銀座や大手町に出かけた。身長100㎝前後の私には、ビルの壁面に堂々と光る真鍮の消火栓が視界に程よく入り、強い印象を受けていた。その消火栓はNYのビル群の消火栓とつながり、描きたくなったのだ。
 
消火栓は大理石や御影石の古い大きなビルの横に シックに光っていた。
改めて見てみると 様々なバリエーションがあり趣のある消火栓は魅力に溢れていた。大きく写真を焼いて 色分解をしてリアルにパネルに描くと ギラリと光る反射が美しく 少しNYに近づいた気持ちになった。
 
あれから30年近い時間が流れ、この数年で大阪にある古いビルは次々と姿を消した。消火栓も マットなステンレス製のスマートなものばかりだ。
昨晩、一人あてもなく御堂筋を歩いた。
 人生では沢山の事があり、喜びも切なさも責任も成長もあった筈なのに
この あてもなく何かに焦がれる感じ、満たされない思いと 満たしたい欲求に背中を押されて ただ 歩く気持ちは 17歳の自分と何一つ変わっていない。
30年後 同じ街を一人歩く自分を想像すらしていなかった夏の日を思うと 人の成長や教養は 時の速さに比べてなんて緩やかなことかと思う。
そして今から30年後、また一人歩く自分に出会えるだろうか?その時も 今と変わらない焦燥感を持っていられるのだろうか?
 
 

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