2013年2月2日土曜日

さよならの続き

 
 
 
友人がtwitterをするにあたって、今まで持っていたアカウントとは別にもう一つ取る、と言う。理由は「昔の彼に今の生活を覗かれたくない」
私はFBはしていないけど、FB上で元の恋人同志の再会が頻繁にあるのはよくある事だしtwitterだって探そうと思えば出来ないこともない。FBは認証しなければ良いというものの、「まだコダワッテルの?」と自分の成熟度を測られるのが嫌でなんとなく認証、っていう人も聞く。いい女、大人の女と思われたいっていう気持ちは複雑で厄介。
 
 
連絡を取り合わなくなったら「死んだも一緒」だったのに、今はその後が付いて回る。
自分は追跡しないけど、もしかしてずっとフォローされるかも知れない。
「別れてもずっと忘れない、どこかで応援するね」なんていう別れは実際には会うことはない・・という事が前提だったのに、その「どこか」がとても具体的になった。別れるには抜き差しならない理由があり、キチンと別れるには伏線を張るのに準備周到なエネルギーも費やすのに、この不確かな気持ち悪さはストレスリストの上位にランクインされる気がする。
恋愛関係になる、ということがゆくゆくの不自由に繋がるというリスク・・・恋愛に臆病になってしまう一因になっても不思議じゃない。
 
お別れはブロックで、というtwitterのルールもあるそうだけど、実際の恋愛にも適応できると良いのにね。
私みたいにうっかり「円筒分水が好き」とツイしてしまったら、あっという間に絞り込まれてしまう。折角のマニアックな発言もゆるされるtwitterで不自由な思いをするのは嫌だから、お別れはできるだけ印象薄く。 色とりどりの紙テープがヒラヒラ舞う 出航のお別れくらいの「潔さ」を手に入れるのは宝くじで1万円当てるくらいの難易度かも知れないわね。
 


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